多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

12月16日金曜日 スイーツ塩見のあま~いお話

スイーツ塩見のあま~いお話
お菓子作りを趣味とする塩見啓一アナウンサーの
スイーツうんちくコーナーです。

[この番組の画像一覧を見る]

今週のスイーツ「ザッハトルテ」

ザッハトルテ(独:Sachertorte)は、1832年にウィーンの菓子職人フランツ・ザッハが作り出した、世界で最も有名なチョコレートケーキであり、オーストリアの代表的なお菓子(トルテ)です。
ウィーンでは母音の前のsを有声化しないため、サッハートアテのような発音になります。

一般的な作り方は、小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のスポンジケーキを作り、アンズのジャムを塗った後に、表面全体をチョコレートでコーティングします。砂糖を入れずに泡立てた生クリームをたっぷり添えて食べるのがウィーン風。味の方も、甘いながらも後味もよく、何度食べても飽きない味です。
1832年、ナポレオン戦争後の国際秩序であるウィーン体制を支えた、時のオーストリア宰相メッテルニヒが、彼の製菓長として仕えていたコック、フランツ・ザッハに「かつて誰も食したことの無いようなデザートを」という命令を出し、ザッハは見事その期待に応えて作ったケーキがザッハトルテです。そして、フランツの息子の代で今も有名なホテル・ザッハを創業し、ザッハトルテの名は広く知られるようになりました。

ここでちょっと世界史を復習。1789年にフランス革命が起き、混乱の後にフランス皇帝となったナポレオンが起こしたのがナポレオン戦争。その戦後処理をしたのが1814年から1815年にかけて行われたウィーン会議。ここで勢力を拡大したのがオーストリアであり、ウィーン会議後のヨーロッパはウィーン体制と呼ばれ、その指導的立場に立ったのがオーストリアの宰相メッテルニヒというわけです。

さて、世界的に有名なお菓子となったザッハトルテですが、有名になりすぎたために、後に「ザッハトルテ戦争」と呼ばれる事件が発生する事となりました。 それは1930年代、ホテルザッハが経営難に陥った時、時の当主エドワルド・ザッハがアンナ・デメルに助力を頼んだ事に端を発します。
デメルとは、ウィーンを代表するオーストリア王室御用達菓子店として200年を越える歴史を持ち、ハプスブルク家の紋章を今日もなおそのブランドマークとして掲げる程の伝統を持った名店。ザッハはデメルよりの援助の見返りとして、そのデメルでもザッハトルテを作る事を許可します。
しかしエドワルドの死後、ザッハの遺族側からデメルで使っていた“オリジナルザッハトルテ”という標示を中止するように裁判が起こされました。
ザッハ側からは、「正当なザッハトルテとは、ザッハのだ。そして裁判は長期にわたり、双方の証人として多くの歴史家、古文書学者、料理研究家が証言し、正当なザッハトルテについて証言しました。
裁判は10年もの長期に及び、「どちらもザッハトルテを生産販売してもいいが、オリジナルの標示は、どちらか一方だけにする」という判決が1962年に出されこの裁判は決着しました。
そして現在では、ザッハ、デメル双方で由緒あるザッハトルテを味わう事が出来、ウィーンを代表するお菓子として様々な店で楽しむ事が出来るようになりました。しかし、オリジナルザッハトルテを名乗る事が出来るのは、ホテル・ザッハのオリジナルザッハトルテのみです。


さあ~それでは今週も作ってまいりました!!
スイーツ塩見手作りの「ザッハトルテ」です。ど~ぞ

(このコーナーでは、毎週、紹介するスイーツをスイーツ塩見が手作りします!)


         byスイーツ塩見


 
関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報