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12月2日金曜日 スイーツ塩見のあま~いお話

スイーツ塩見のあま~いお話
お菓子作りを趣味とする塩見啓一アナウンサーの
スイーツうんちくコーナーです。

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今週のスイーツ「カステラ」

カステラの歴史はきわめて古く、紀元前3世紀頃、スペインで造られたモノが起源であると云われている。
カステラの名前の由来は、スペインのカスティーリャ王国のポルトガル発音であるカステーラだと思われる。カスティーリャ王国の起源は8世紀まで遡り、日本に伝わるよりはるか昔から存在した。
ポルトガルにはカステラという名のお菓子は無く、カステラの原型となった料理の正体は分かっていない。

一説によると、大航海時代にスペインで生まれた「ビスコチョ」、ポルトガルの菓子「パン・デ・ロー」が原型ではないかと考えられている。
これらのお菓子は現代でも現地で親しまれているが、カステラとは製造方法が異なっている。
元亀二年(1571年)、日本が戦国時代であった頃、世界は大航海時代の真っ盛りだった。当時、南蛮船で渡来したポルトガル人によって鉄砲やキリスト教とともにカステラが日本に伝わった。時カステラはスペインに古くから栄えたカスティラという王国のパンとして長崎の人々に紹介されたが、やがてその由来となる名前だけを残し、長崎で作り続けられていく事となる。

伝来当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作ったシンプルな物で在った。
当初のカステラは鶏卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いなかった。
その為、乳製品を生産・常用しない当時の日本にも残ることが出来たのだ。
カステラの製造に重要なオーブンも勿論、当時の日本には存在せず、オーブンに代替する天火として、引き釜という炭火を用いる日本独自の装置が考案された。
鎖国をしていた江戸時代にも、長崎の出島でカステラは作られていた。
特に菓子製造の盛んだった江戸・大坂を中心にカステラの日本化と、カステラを焼くための炭釜の改良が進められ、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近い物が作られる事になる。
カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。
その一方で、カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった栄養価の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていたこともある。
近代には水飴の使用が普及して、和菓子らしい風味をそなえるようになり、ガスオーブンや電気釜の使用で、以前より楽に安定してカステラが焼かれるようになった。


さあ~それでは今週も作ってまいりました!!
スイーツ塩見手作りの「カステラ」です。ど~ぞ

(このコーナーでは、毎週、紹介するスイーツをスイーツ塩見が手作りします!)


         byスイーツ塩見


 
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