大谷ノブ彦のキスころ

女子プロレスラー・藤田あかねが中日ファンになったきっかけ

ダイノジ・大谷ノブ彦が音楽、映画、名古屋のグルメ、中日ドラゴンズなど、好きなものをアツく語る番組『大谷ノブ彦のキスころ』。

最終回の3/25は、女子プロレスラー・藤田あかねさんがゲスト出演しました。

アイスリボンという団体に所属する藤田さんは大のドラゴンズファン。球団マスコットであるドアラの格好をしてプロレスをすることもあります。なのに、愛知県ではなく愛媛県出身で、中日とは縁もゆかりもありません。

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お互い肩身が狭いですね

「ドアラの格好でリングに上がるのは、東海地方か、野球の試合限定なんですよ」という藤田さん。

…ちょっと待ってください、野球の試合ってどういうことですか?

「年に1回、東京・上野で、選手が勝手にプロデュースできるお祭りみたいな大会があって。で、広島県世羅町(せらちょう)の、町長さんの娘さんと。いう先輩レスラーがいるんです。『世羅りさ』って名前でやってて、広島カープの大瀬良(おおせら)大地投手の応援もやってるんです」

どうやら"せら"繋がりで、世羅選手は大瀬良投手の後援会の役員になっているようです。

「向こうはカープ女子、自分がドラゴンズ女子として、シングルマッチとかやる時は、お互いユニフォームを着て、プロレスの途中に野球をしながらっていう」

これはまた特殊な趣向で。一体どんなものか観たくなりますね。

ちなみに、カープ好きのレスラーはかなり多いらしく、神宮球場などに10何人で集まって“プロレスカープ会”を開いたりしているんだとか。

藤田さんは対抗して“プロレスドラゴンズ会”を作ろうと意気込んだものの、関東に1人しかいなかったという悲しい現実があったんだそう。

これには大谷も同調。

「お笑い芸人にもめっちゃカープファン多いんですよ。関西出身なのにカープ好きとか。そいつら、昔は阪神ファンの影に隠れてやってたのが、今は花開いちゃって」

生粋の京都出身のチュートリアル・徳井義実や、大阪生まれで一時期広島県に住んでいたロザン・宇治原史規などが代表例ですね。

「中日は花開いてないんスよ。ルミネtheよしもと(東京・新宿)という劇場にスポーツ新聞が一通り置いてあるんですけど、東京中日スポーツを開くの僕だけなんです。物珍しそうに中川家さんとかが『中日情報を知りたいからちょっと見せてーや』みたいに言ってくるだけなんで」

まずはお互いに傷を舐め合うのでした。

気合いだ!

さて、藤田さんとドラゴンズとの馴れ初めを探っていきましょう。

そもそもスポーツを一切見ない家族だったため、野球に興味は無かったそうです。そんな中、プロレスに興味を持ったのが中学の時。獣神サンダー・ライガーを見て凄いなと思ったのが最初でした。

ただ、自分がやりたいとは思わずまだ見る専門で、吹奏楽部で太鼓を叩く日々でした。

その後、バンドを組んでドラムを叩くようになります。ヘビメタバンド・SEX MACHINEGUNSが大好きで、コピーもしていたそうです。

やがてそのバンドが解散。新たにメンバーを探してみたもののしっくり来ず、バンド結成は諦め、新しい道を模索します。この時すでに22歳。

スポーツ経験も無く、中学では体育にろくに参加していなかった藤田さんが、「やりたい事は全部やってみよう」とここで初めてプロレスラーを目指すのですが、身体が全然できていません。

そこで、自分の知ってるレスラーで有名なアニマル浜口氏のジムに行けば、どうにかなると思い立つ藤田さん。

ジムのある東京・浅草での生活費を貯めるべく、愛媛で独り暮らししていたのを実家に戻ります。

「おかん、東京行くわ」

「何で?」

「プロレスラーになるわ」

こんな会話を交わしつつ費用を貯め、浅草で2年間鍛えるのでした。

そして24歳になった藤田さんは、千葉にある某団体に入る予定で、千葉に引っ越したのですが…。

遅咲きの人生

その10日後に東日本大震災が起こり、何もできなくなったのです。

一旦、実家の愛媛県松山市に1ヵ月ほど帰った藤田さん。そして千葉に戻ると何と、腰のヘルニアを発症してしまいます。

周囲にはプロレスを諦めろと言われますが、藤田さんは屈せず手術して治すのでした。

その間、千葉の団体は自分と合わないと思うようになり、東京に再び移り、現在所属のアイスリボンに入り、デビューを果たすのです。

しかし次の試合の前に、あばら骨にヒビが入り欠場。
復帰のための練習に参加したその日に、右膝前十字靭帯を損傷。
その後もやっと復帰したと思ったらケガの繰り返し。
そして試合中に今度は左足の前靭帯を損傷。

1年間欠場の後、昨年3月に復帰し、この1年は無事に過ごせているそうです。ようやく女子プロレスラーとして生計を立てていると思える、藤田あかねさん31歳なのでした。

早く馴れ初め言いたい

…って、あれ?全然ドラゴンズが出てきませんね(笑)。

16歳の時に、地元の軟式社会人野球の人と知り合い、軟式野球の試合を見るのが好きになったんだそう。

そこからプロ野球へ、特に当時の愛媛は巨人戦中継ばかりで巨人ファンになりそうなものですが、祖父がアンチ巨人だったため、プロ野球は見なかったんだとか。

その後上京した時に、たまたまプロ野球のニュースを見た際、森野将彦選手の活躍する姿に「この人だ!」と一目惚れ。顔もたたずまいも全てが"どストライク"だったのです。
おそらく2009年の頃だと思われますが、この後に知ったドアラにもハマり、中日ファンとなったのでした。

森野選手もドアラも見た目が同系統なので、おめめパッチリの小動物系がお好きなんでしょうね。

2011年、優勝を決めた横浜スタジアムにも観戦しに行ったという藤田さん。
またあの頃の強さをドラゴンズに取り戻してもらいたいものです。
(岡戸孝宏)
大谷ノブ彦のキスころ
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2018年03月25日13時30分~抜粋

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