大谷ノブ彦のキスころ

忌野清志郎と川又米利の秘話に、大谷のバッテリーもビンビンだぜ!

ダイノジ・大谷ノブ彦が音楽、映画、名古屋のグルメ、和菓子、中日ドラゴンズなど、好きなものをアツく語る番組『大谷ノブ彦のキスころ』。

11/19の放送では、元・中日ドラゴンズの川又米利(かわまた よねとし)さんがゲスト出演しました。
CBCラジオで平日午後4時から放送中の『丹野みどりのよりどりっ!』では、月曜日のスポーツコーナーのレギュラーとしてもおなじみです。

川又さんには、ドラゴンズの話はもちろん、親交の深かった故・忌野清志郎さんのお話も伺いました。

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補強と底上げ


川又さんは東京都調布市出身。1979年、早稲田実業高校からドラフト外(がい)でドラゴンズに入団しました。
昔は、ドラフト会議で指名漏れした選手と、直接入団交渉をすることも認められていたのです。

いろいろドラゴンズの問題点を話した後、長らく悩みの種となっている正捕手問題の話に。
ドラゴンズは、FA宣言をした日本ハムファイターズの大野奨太捕手を獲得しにいくと予想されています。
「大野選手は100%獲りにいった方がいいのか」と大谷が聞いたところ、川又さんの答えは「NO」。
長い目で見たら、今ある選手を育てた方がいいと。今の投手陣も把握しているし、底上げに徹した方がいいのではということです。

それから、自分と同じ背番号の選手は気になるという川又さん。現在23番を背負っている遠藤一星(いっせい)選手についてはどう思っているのでしょう。
「足も速いし、広角に打てるし、長打力もある。ただ、勝負所で甘い球を打ち損じてしまう。結果が出ないと首脳陣も使いづらくなる。とにかく球を捕らえる確率をアップしていく。すると難しい球をファウルにするとか技術面が上がっていく」と川又さん。

難しい球はそうそう打てません。甘い球が来るまで待てるようにするのが、プロとして成功する秘訣だということです。

忌野清志郎さんとの出会い


さて、ここからは忌野清志郎さんとのなれ初めを聞いていきましょう。

忌野さんは90年代前半、「忌野清志郎&2・3’S(ニーサンズ)」というバンドを組んで活動していました。

ある時、某在名テレビ局の人を通じて、「背番号23番・川又選手のユニフォームが欲しい」という要望が届いたそうです。

忌野さんは、大のドラゴンズファン。そのきっかけは、「40代になってオヤジ臭い趣味を持とうとプロ野球の応援を思い立ち、常勝軍団の巨人に立ち向かう様子が気に入ったから」とか、「ドラゴンズがリーグ優勝した1988年に生まれた息子の名前が『竜平』くんだから」とか、いろいろ言われているようです。

とにかくこの時、ユニフォームを贈ってから交流が始まった川又さんと忌野さん。ついには武道館のコンサートで共演も果たすほどに。『雨上がりの夜空に』を一緒に歌ったそうですよ。

テレビやステージで見るのと違い、普段の忌野さんはとてもシャイな人だったそうです。
ナゴヤ球場やナゴヤドームにもよく観戦に来てくれ、その時は川又さんも「よーし、今日は打てるぞ」と勇気が湧いてきたんだとか。

思い出のビールかけ


そんな川又さんが、忘れられないエピソードを語ってくれました。

1997年限りで現役引退し、解説者として活躍していた川又さん。1999年、星野監督率いるドラゴンズが神宮球場で見事リーグ優勝を成し遂げた時のことです。
優勝が決まると、在名のテレビ各局は深夜に優勝特番を放送します。そのうち、川又さんが出演する某局の特番に、なんと!忌野さんも特別出演。自前のホラ貝を「フオオオォン!」と吹き鳴らし、盛大に盛り上げたのでした。

ただ現場は、決められたスペースに仕切りを設け、各局が隣り合わせでいる急造スタジオ。他局にもホラ貝の音がオンエアに乗ってしまうというハプニングにも。

そして、何と言ってもビールかけを一緒に参加できたこと。実は川又さん、初めてのビールかけだったのです。

川又さんの現役時代、ドラゴンズは2回リーグ優勝しています。プロ入り4年目の1982年はシーズン途中まで一軍にいながら、終盤二軍落ち。胴上げは選手寮で見届けました。
その後1988年は、バリバリ一軍で働き続けた末の優勝でしたが、折しも昭和天皇のご病気のため自粛。祝勝会ではちょっとビールを触ってちょんと付けたりするくらい。帰宅してからせめてもと、奥さんに風呂場でビールをかけてもらったそうです。

そんな経緯があったため、星野監督の粋な計らいで川又さんもビールかけに参加することができ、忌野さんと共に勝利の儀式を味わったのでした。忌野さんもファン冥利に尽きたでしょうね。

武道館で歌うプロ野球選手と、ビールかけに参加するミュージシャン。本当に特別な間柄だったということがわかります。

遠藤選手、どうですか?


大谷が大の清志郎ファンだということで、川又さんがプレゼントを持ってきてくれました。
それはTシャツ。そこに描かれたイラストは、川又さんのユニフォームを着た忌野さん。その素敵な絵は川又夫人が描いたという、自作の特製品です。



毎年5月に行なわれている『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー』という、忌野さんの追悼ライブ。今年川又さんはこのシャツを着てステージに立ったそうです。

ライセンス契約はしていない非売品ですが、大谷が「これ、ぜひ球団と清志郎さんの所に話を通して、公式グッズで売りましょうよ!」と言ってしまうほどの出来栄え。
「これを着て、ナゴヤドームで『雨上がりの夜空に』を歌いたいなあ」とつぶやく大谷に対し、川又さんは「僕が打席に入る時に、その曲をかけたかったです」としみじみ語ります。

今でこそ、選手が打席に入る時に登場曲が流れるのは当たり前ですが、川又さんの現役時は球界にまだ定着していませんでした。

「遠藤選手、どうよ!23番の伝統として、登場曲を『雨上がりの夜空に』にしたら?俺、遠藤選手グッズ買うから!」と大谷は電波越しに強く提案します。
「遠藤一星って、名前に星が入ってるんですよ。“雨上がりの夜空に星が見える”って歌ってるんですから、これこそピッタリですよ!」

ドラゴンズと忌野さんへの思いが募り、バッテリーがビンビンとなる大谷なのでした。
(岡戸孝宏)
大谷ノブ彦のキスころ
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2017年11月19日13時33分~抜粋

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