大谷ノブ彦のキスころ

大谷ノブ彦が語る ドラゴンズラブストーリー

漫才コンビ・ダイノジの大谷ノブ彦が「日本で一番魅力のない都市」と言われている名古屋を徹底的に応援。造詣が深い音楽の話題も交え、アツく語る番組です。
先月までは金曜夜に放送されていましたが、装いも新たに日曜昼にお引越しです。

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3度目のドラゴンズファン?


ここ数年低迷し昨年は最下位に沈んだ中日ドラゴンズ。名古屋を盛り上げるためには必要不可欠な存在です。大谷は昨秋この番組がスタートした時から、声高らかに中日ファンを宣言しました。

大谷は大分県出身。中日なら大島康徳選手が同郷です。
大島といえば今の人は大島洋平選手を思い浮かべるでしょうが、年季の入ったファンなら“一発長打の大島くん”こと康徳選手ですよね。

さて、名古屋と縁の浅い大分出身・大谷ノブ彦が中日ファンになったのは、実はこれで3回目です。そのルーツを語っていきます。

大谷は1972年6月生まれの、現在44歳。
小さい頃は周りが巨人ファンだらけだったそうです。
ライオンズは1978年のシーズンオフに埼玉の西武に売却。ホークスが福岡に移転するのが1989年。
大谷少年が野球に興味を持ち始めた頃には、九州に球団はありませんでした。

判官びいきな性格で、みんなが好きなものはあまり好きじゃないという大谷。
巨人ファンにはならなかったそうです。

ドラゴンズとの初恋


大谷がプロ野球を観始めたのは80年代初頭。中日を見初めたのは1982年。
9月28日、ナゴヤ球場で行われた中日対巨人の24回戦での出来事でした。
激しく優勝争いを繰り広げていた両チーム。6対2の巨人リードで迎えた9回ウラ。マウンドに立ちはだかるのは怪物・江川卓投手。

当時の江川はこの時点で既に19勝していました。最終回で4点差を追いつくのは至難の業。しかしここで奇跡が起きるのです。中日打線が5安打を集中、同点に追いつくのです。

テレビでは中日が得点する前で中継が終わっていました。10歳の大谷少年も、巨人が勝って、このまま優勝へ突っ走るんだろうなあと思い就寝。
ところが翌日の新聞で事実を知るのです。同点になった後の延長10回ウラ、大分の星・大島康徳選手がサヨナラヒットを放ち、中日に優勝マジック12が点灯したことを。

この衝撃を今でいうなら、昨年大活躍した日本ハムの大谷翔平投手が、最終回に10点差を追いつかれるようなものです。
これがファーストインパクトとなり、大谷ノブ彦少年の心をわしづかみにしたのでした。

ただ、その翌年、後楽園球場の巨人対広島戦を観戦した際、広島カープの選手が手を振ってくれたのが嬉しくて、あっさり広島ファンになってしまったそうですが。

ちなみに、当時は民放テレビのナイター中継は、夜9時までに終わっていました。しかしこの歴史的大逆転試合が尻切れになったことに抗議が殺到。
その後次第に、中継の30分延長が各局で取り入れられるようになっていきました。

セカンドラブ


そして2回目は大谷青年・31歳の頃。
実は『大谷ノブ彦のキスころ』には前身番組がありました。
その名は『ダイノジのキスで殺してくれないか』。
2002年4月から2004年9月まで放送されていました。

その頃は、野球の話をしないようにしていたそうです。
しかしたまたま一回だけ80年代のプロ野球話をしたところ、リスナーからの反響が大きかったそうです。
「もっと昔の中日の話をしてください」

更に、ちょうど時は2003年。星野監督率いる阪神優勝フィーバーで、にわか阪神ファンが増えていました。反骨精神あふれる大谷はこう言います。
「じゃあ対抗して俺はにわか中日ファンになるわ」

更に更に、もともと大谷がファンだった落合博満氏が、中日の監督に就任。
運命としか思えない流れに乗り、翌年春の沖縄キャンプに乗り込みます。

少年時代、広島の選手に手を振ってもらっただけで好きになった大谷ですから、キャンプなんて行った日には、イチコロです。
沖縄の少年野球のチームの皆さんに混じり、サイン色紙を持って選手の出待ちをするほどに。分かりやすいですね。

そこで、荒木雅博選手にサインをもらっていたところ、大谷の顔をよく確認しないまま下を向いて書いていた荒木選手が一言。
「君、体がでかいから将来プロ野球選手になりなよ」

こんなお茶目な天然ボケも嬉しかったと話す大谷でした。

恋とは難しいもの


そんな風に中日との距離を縮めていったある日。なんと、番組あてに井端弘和選手からファックスが届いたのです。放送を聴いてくれていたようで、
「ぜひナゴヤドームに来てください」

こんなことされたら、もうズブズブです。
東京から大阪へ仕事で行く時は、一本早い新幹線に乗り、途中でいったん名古屋駅のホームに降り、名物のきしめんを食べつつ中日スポーツを買うほどに。
本当、分かりやすいですね。すっかり恋する乙女です。

ただ、その恋は長く続きませんでした。
2004年に番組が終了を迎え、名古屋から物理的に距離が離れます。
やがて落合監督も2011年で退任し、心も離れていきます。
遠距離恋愛の終焉です。

その後は、大谷と小・中・高校の先輩である野村謙二郎監督の誘いで、再び広島カープを応援。
更にその後、ニッポン放送の昼ワイド番組を始めてからは、横浜のリスナーが多かったため、ベイスターズを応援。
元サヤに収まってみたり、違うタイプと付き合ってみたり。

いつしか大谷は、ひとつの球団に絞るより、野球全体を楽しむカラダとなっていったのでした。

ドラゴンズは甘え上手


それをまた自分に向かせることに成功した中日。
どうやら大谷は、中日の報われない姿をほっとけないようです。
例えば…

1976年は、巨人のV10を阻止して優勝したのに、長嶋茂雄選手の引退に全部持っていかれたところ。

1982年は、日本シリーズの西武戦で、中日・平野謙選手の打球が一塁審判に当たったせいで、ランナーの田尾安志選手がタッチアウト。俗にいう“審判石ころ事件”で、シリーズの流れをつかめず。

1988年は、リーグ優勝を果たすも、川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダー、いわゆる「10.19」に話題をかっさらわれる。しかも、当時は自粛ムードで優勝騒ぎも抑え気味に。

その他にも、1994年の「10.8決戦」、1986年のメークドラマ(ナゴヤ球場最後)など、いろいろあります。

中日ドラゴンズは母性本能をくすぐるタイプなのですね。
(岡戸孝宏)
大谷ノブ彦のキスころ
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2017年04月02日13時08分~抜粋

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