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額賀澪『タスキ彼方』

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★内容紹介
・来月、第100回を迎える箱根駅伝の物語。
・始まりは令和五年、ボストンマラソンの会場。学生ナンバーワンランナーである神原が出場し、彼の所属する日東大学陸上部監督の成竹もボストン入りしていた。その場で、アメリカの選手が成竹に声をかける。彼の曽祖父の遺品の中に、太平洋戦争中のマニラで拾ったという手帳があり、どうもそれが日本人の日記らしい。日本語がわかる人に読んでもらったところ、ハコネエキデン、という言葉が何度も出てくるので、日本のマラソン関係者なら子孫を探せるのでは、という。ぜひ渡してほしいと頼まれ受け取った成竹がその日記を読むと、戦時下の箱根駅伝のことがつぶさに書かれていた。
・物語はそこから昭和15年に飛ぶ。召集令状を受け取った学生が、入営に間に合うよう箱根駅伝の5区から1区にエントリーを変更し、走り終わったその足で郷里へ帰る様子が描かれる。そして翌昭和16年、軍主導で、箱根駅伝の中止が通達される。戦争のための物資輸送が最優先の中、スポーツのために国道を使わせることはできないという理由。しかし学生たちは諦めなかった。だったら国道を使わず、別のルートでやろうと、非公式ではあるが自分たちの手で、明治神宮から青梅熊野神社までを走る大会を実行する。翌年、戦時命令により日本学連が解体。ついに駅伝は完全中止に追い込まれた。
・それでも学生たちはあきらめず、文部省や軍に掛け合い、学泉の鍛錬と戦争必勝祈願のため靖国神社と箱根神社の間を走る駅伝大会を実現させる。それが昭和18年の第22回大会。しかし翌年、昭和19年から21年にかけての3年間は、戦況の悪化と敗戦、敗戦後の混乱の中で駅伝は中断する。そして昭和22年、4年ぶりの駅伝復活を成し遂げたのも学生だった。
・物語は昭和の戦中戦後と、令和の現代を行き来しながら、戦時中の学生たちのことを知った現代の監督とランナーが何を思い、どう変わっていくかを描いている。
★読みどころ)史実に沿った箱根駅伝の歴史
作中、個人名は架空のものだし大学の名前もすべて変えてあるが、出来事は史実に沿っている。戦争中、鍛錬とか必勝祈願とかの題目をつけなければスポーツすらできなかったこと、軍や政府により中止が決められても学生たちがなんとか続けようとしたこと。どうしてそこまで情熱を持って続けようとしたのか。当時の男子大学生たちは、遠からず招集されることがわかっている。そして招集されればそこで死ぬんだろうということもわかっている。どうせ死ぬのならその前に箱根を走りたいという思い、箱根を走れれば悔いなく戦地に行けるという思いがランナーたちにあった。そして自分は戦地に行っても、後輩たちが箱根を走ることを願っていた。この物語の主人公はひとりではなく、最初に青梅を走ろうと言い出した人も、走った人もその後、戦争で死ぬことになる。だがその思いを受け継いで、他の人が箱根駅伝の再開のために尽力する。その様子がまさにタスキをつなぐ駅伝のようで実に感動的。そのタスキが今につながっている。かつて、若者たちがただ走る、ということすらできない時代があったこと、その苦難と努力の末に、スポーツを楽しめる今があるのだということを思い出させてくれる。
・来月の箱根駅伝を、ちょっと違った思いで見ることができる一冊。
額賀澪『タスキ彼方』
小学館から1980円で販売中です。
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