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上野歩『お菓子の船』

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★内容紹介
・物語の始まりは1992(平成4)年。主人公は製菓学校を卒業した樋口和子(わこ)。彼女は和菓子職人として浅草の老舗に就職した。彼女が和菓子職人を目指したのは亡くなった祖父の影響。祖父も和菓子職人で、和子が小さい頃、祖父の作ったどら焼きの味がとても鮮烈で、目の前に桜と海の風景が浮かんだ。その秘密が知りたかったがその後すぐに祖父はなくなり、わからないままに。そこで自ら和菓子職人を目指したのだが、祖父を知る人に話を聞くと、はじめは真面目な職人ではなかったが、戦争から帰ってきてから人が変わったように菓子作りに取り組むようになったという。そして、「自分が一本立ちできたのはマムロ羊羹のおかげだ」と言っていたとのこと。いったいマムロ羊羹とは何なのか、それは戦争に関係あるのか、和子は自分の修行を続ける傍ら海軍で祖父と一緒だった人に祖父の話を聞き始める……。
★読みどころ1)祖父の過去
調べるうちに、祖父が戦争中、ある船に乗っていたことが判明。それは「給糧鑑間宮」(実在)。給糧鑑とは軍艦などの艦艇に食料を届ける船で、食糧を積み込むだけでなく中で調理もしていた。外洋に出ている戦艦の乗組員にとっては食料を運んできてくれる間宮は命綱だったのみならず、兵士の士気をあげるために、なかなか手に入らない甘いお菓子も運んできてくれるので、海軍のアイドルのような存在だったという。その間宮で祖父は羊羹を作っており、それは間宮羊羹(実在)と呼ばれてたいへんな人気だったという。マムロ羊羹とはどうやら間宮羊羹のことらしい。この給糧鑑の設備が詳しく描かれていて、戦時中にこんな役目を担った船や兵隊がいたのかと驚かされる。当然、敵としては補給路をたたきたいので間宮も攻撃対象になるから護衛艦がついていたとか、船上では真水は貴重品で風呂や洗濯は厳しく制限されていたが料理にはふんだんに水が使えたとか、陸では品不足で働き場所のなくなった料理人や菓子職人が腕を振るう場所を求めて乗っていたとか。ただこういう船があったというだけではなく、ある先輩職人の言った「戦があろうとなかろうと和菓子職人は小豆を煮るだけ」という言葉を通して、仕事とは何なのかを考えさせてくれる。
★読みどころ2)主人公の和菓子職人としての成長
祖父の話と並行して、主人公の和子の現在が描かれる。新米として老舗和菓子店に入り、男の世界の中で時には理不尽な経験をしながらも、少しずつ成長していく。小豆の煮方や餡子を作るコツなども詳しく描写され、独り立ちして開店するときの手順など、お仕事小説としても面白いし、とにかくどら焼きと羊羹が食べたくなる。
・話が平成4年から始まるのは、戦争の話が聞ける人たちが存命だった時代だから。作中で時間が経つにつれ、歴史の証言者も亡くなっていく。その代わりに当時を伝えてくれる一冊。
上野歩『お菓子の船』
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