名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻

戦国の戦を一変させた鉄砲伝来。いったいいつ伝わったのか

400年前より現代に蘇りし戦国武将の集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、ラジオ界の天下一を目指す番組『戦国音絵巻』。8月23日の出陣は織田信長加藤清正、陣笠隊の足軽・十吾の3名でした。

現在、わたしたちが銃(鉄砲)を持っていたら法律違反で捕まりますし、警察ですら、拳銃の発砲は非常に慎重にします。その鉄砲は戦国時代に出現し広まり一気に戦を変えました。

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今週の週刊戦国年表は?

8月23日から29日の期間、戦国時代に起こった出来事を取り上げる「週刊戦国年表」。

今回の出来事は1543年(天文12年)8月25日、日本に鉄砲が伝来した件について。

大隅国(現在の鹿児島県)の種子島に漂着したポルトガル船の荷物にあったと言われています(最新の研究では、これより前に伝わっていたとする説もあります)。

戦国の世に新しい武器が利用できるとわかれば、戦国武将たちが放っておくはずがありません。当然、大きな影響がありました。

ある意味「鉄砲を制する者が天下を制する」とも言えるほど大きな転換となった鉄砲伝来。
いったい、どのような影響があったのでしょうか。
 

鉄砲が伝来するまで

鉄砲が伝来する前の武器といえば、刀・槍・弓。あとは徒歩または馬に乗り、戦うのが一般的でした。
接近戦は刀、至近距離から長距離まで対応できる槍、遠方の敵を撃つのに利用する弓と使い分けられていたようです。他には投石器などもあったとか。

鎌倉時代に2度に渡り蒙古が攻めてきた文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)がありましたが、その際に蒙古が使っていた武器が「てつはう」という火薬を使った武器です。

これは『蒙古襲来絵詞』という絵巻物に描かれており、実際に長崎沖で見つかった「てつはう」は、陶器製であり、鉄さびの跡もありました。
詳しく調べてみると、容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散る仕掛けだったことがわかり、恐らく日本人が初めて見た火薬を使った武器だったと推測されています。

その後、室町時代には鉄砲や大砲の原型と言われるものが大名たちから室町幕府の将軍家にこぞって献上されていたと言われています。当時は高価な贈答品の扱いだったようです。

種子島の鉄砲伝来は、仮にそれ以前に伝わっていたとしても、この出来事を機に鉄砲や火薬の生産が日本国内で増えたことは事実。
実際に戦で最初に使われたのは、薩摩国の島津氏家臣である伊集院忠朗が大隅国の加治木城攻めだったと言われています。
 

鉄砲伝来後の戦

種子島に鉄砲が伝来した時、薩摩国の島津氏家臣で種子島領主だった種子島時尭(たねがしまときたか)は、火縄銃の威力に目を付けました。

父の種子島恵時(たねがしまさととき)と相談して1挺(ちょう)1,000両で2挺の火縄銃を購入し、刀鍛冶に火縄銃の複製を命じたと『鉄炮記』(江戸時代に編纂された鉄砲伝来に関する書物)に記されています。
どちらにしても、この鉄砲が広まったことで戦も大きく変わりました。

戦国武将たちは、鉄砲の確保と利用が戦を有利にする重大な武器として、装備を急ぎます。

鉄砲を効果的に利用した代表的な戦といえば、織田信長徳川家康連合軍と武田勝頼が激突した長篠の戦い。
信長・家康が鉄砲を効果的に利用した戦い方をしたのに対し、勝頼は騎馬隊を主としていました。この戦は、信長・家康軍が終始有利に戦をすすめて勝利したと言われています。

また鉄砲の急速な普及は、他にも大きな影響を及ぼしました。
鉄砲以外にも、大砲などの銃火器が発達したため、甲冑や戦い方、築城などにも変化があったと言われています。
当時、日本国内で流通していた鉄砲の数はヨーロッパの国々よりも圧倒的に多く、世界で一番多かったという説まであるほどです。

その後、江戸幕末になると西洋諸国から新型の銃や大砲が伝わり、これが幕末の戦いで用いられました。いつの時代も、新しい武器は戦争を左右する大きなきっかけになるもの。
今の世は平和であってほしいものですね。
(葉月智世)
 
名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻
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2021年08月23日21時14分~抜粋

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