名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻

加藤清正だけが傷ついたラジオ企画とは?

400年前より現代に蘇りし戦国武将の集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、ラジオ界の天下一を目指す番組『戦国音絵巻』。

1月20日の出陣は、豊臣秀吉、加藤清正、陣笠隊の足軽・踊舞(とうま)です。

この日は、秀吉メインの企画「天下の子」が行われました。昨年大ヒットした映画とは、一切関係ありません。

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誰も傷つけない企画

この企画は、“日輪の子”とうたわれ、どんな民の心でも晴れ晴れとさせた“十割の晴れ男”こと秀吉が、えまき~(音絵巻リスナー)から送られてきた、心を晴れ晴れとさせてくれた矢文(メール)に対して、『天晴れ!』と褒めちぎるというもの。

天下人から褒められる機会など、戦国時代でもそうそうありませんし、現代ではもはやこのコーナーでしかあり得ません。
ここに、「誰にも気づかれないような地味な努力や成果や、良い行い」を報告さえすれば、褒めてもらえるのです。
まさに誰も傷つけない、みんなが幸せになれる企画だということです。

ヨイショ重ね

では、褒められたがっているえまき~の矢文を、踊舞が読み上げていきます。

「新年の運試しにと、先着300名の福引きに出かけました。運良く299番目でくじが引けました!どら焼きが当たりました、嬉しかったです!」(Aさん)

「天晴れじゃあーっ!」

こんな、“ただ運が良かっただけ”という一言で済まされそうな報告でも、秀吉は思いっきり褒めるのでした。

秀吉「素晴らしいっ!儂(わし)、これの何を褒めたいのかというと、まず『運を試す』というのは皆怖いと思うんじゃよ。悪い結果が出てしまうかもしれんと。そこをあえて運試しに行くこのA、天晴れじゃっ!」

清正「素晴らしゅうござりまする殿下!さすがにござりまするっ!」

幼い頃から秀吉に仕えていた清正は、褒める秀吉をヨイショしてしまうという、変な二重構造となっています。

大吉を超えた…?

秀吉「それにじゃよ!先着300名しか運試しできんというところを、このAは299番目までわざと残したと思うんじゃよ」

清正「なるほど!残り物には」
秀吉「福が来るということじゃ!」
清正「素晴らしゅうござりまするな、殿下ぁーっ!」
秀吉「この時点でこの者は最高の運!」
清正「確かにっ!」
秀吉「大吉を超えた!」
清正「素晴らしいっ!」
秀吉「大吉を超えた、これは何じゃ!?清正!」
清正「はっ!…え?」

急なムチャブリに戸惑う清正。

秀吉「他のAはどうだったか知らんが、お主・299番目のAは最高の運だったと思うぞ!」
踊舞「Aが300人おるわけではございません(苦笑)」
清正「他のAを憎く思うな!299番目のA!」

よくわからない展開になってきたので、次の矢文にさっさと移る踊舞。ただ、この変な流れは後々大きなうねりとなっていきます。

笑顔は世界の共通語

「よく外出先で、お年を召した方や外国人の方などに話しかけられます。なぜ私が選ばれるのかわかりませんが、どれだけ忙しくても英語がチンプンカンプンでも、何とか解決できるよう頑張っています!」(Bさん)

秀吉「天晴れじゃあーっ!
これは、お主は話しかけられやすい雰囲気が出とるということじゃ。お主の優しい心が出ているということじゃーっ!」

清正「いよーっ!」

秀吉「しかも、異国の者まで来る、英語がしゃべれん。上等じゃにゃあか!英語がしゃべれなくとも、人は会話ができるんじゃ。ナニで会話するか?
“笑顔”じゃあぁぁぁーっ!」

清正「いよっ!笑顔は世界の共通語!」
秀吉「素晴らしいっ!」

これは納得できますね。秀吉と清正の主従コンビの息もピッタリです。

謎のハイテンション会話

「どんなに些細なことでも『ありがとう』と『ごめんなさい』を必ず言うようにしています。大人になるとなぜか恥ずかしがって素直に言えない人もいますけど、感謝もお詫びもちゃんと伝えたいので」(Cさん)

秀吉「天晴れじゃあーっ!
やはり『ごめんなさい』と言うのは、自分が下になってしまうという気持ちになると思うんじゃが、違うんじゃ。これは全くもって真逆でござる。
自分の非を認めるということは、器がその分大きくなるということじゃ」

清正「左様にございますな!」

素晴らしい。こんな素敵な発想が広まれば、世界中の争いが減ることでしょう。
ところが、ここから流れが急展開します。

秀吉「『ありがとう、ごめんなさい』!清正、言えるか!?」
清正「もちろんにございます!素直が一番!」
秀吉「こらーっ!」
清正「はーっ!」
秀吉「『ごめんなさい』は!?」
清正「ごめんなさいーっ!」
秀吉「儂に感謝を言えっ!」
清正「秀吉様ーっ!いつもありがとうございます!」

何なんでしょう、このやり取りは。

秀吉「なぜご飯を残すんじゃ!」
清正「残しておりません!」
秀吉「『ごめんなさい』は!?」
清正「ごめんなさい!」
秀吉「なぜお主は、そんなに声がでかいんじゃ!」
清正「(小声で)申し訳ござりませぬ」

因縁の石田三成

妙なハイテンションの会話の中、清正の小声で我に返った秀吉。落ち着いて褒めモードに戻ります。

秀吉「『ありがとう・ごめんなさい』が言えるのは、いい大人だと思う」
清正「左様にございます。それが言えないのが、石田三成。うむむ…」

この清正の余計な一言が事態をややこしくさせてしまうのでした。

石田三成は、清正と同じく秀吉の家臣。関ヶ原の戦い(1600年)では敗れた西軍の中心人物として世間に広く知られていますね。
秀吉の死後、三成と清正は対立を深めており、現代に蘇ってからも清正にとって憎き人物であることは変わらないようです。

恐ろしい内情

秀吉「そうだな。ちゃんと『ごめんなさい』が言えないのが三成だな。清正はちゃんと『ごめんなさい』を言えるのか?」

清正「言いました」(こどもがすねたような感じで)

秀吉「でも三成も、同じ言い分だと思う。お主が『ごめんなさい』を言えないから、三成も怒ってケンカしてしまった。清正、三成に『ごめんなさい』が言えるか?」

清正「…うーん。んーんん。ぬぬぬぬぬ…。こちらの世で会ったら、仲良くやろうぞっ…」

秀吉「『ごめんなさい』を言え!」
清正「うぐわっはっはぁ!拙者は素直ではござりませぬぅぅぅ(泣)」
秀吉「素直じゃないこの子は、悪い子だ。清正、悪い子」
清正「ううっ、申し訳ござりませぬぅぅぅ」
秀吉「清正悪い子、独房行きだな」
清正「えええぇぇぇ」
秀吉「真っ暗闇で、水がしたたる音をずっと聞いてもらうぞ」
清正「うぅぅ…雨垂れ、石をうがつ…」

踊舞「そろそろ、しまいにしていただいて、よろしゅうござりまするか?」
秀吉「すまんすまん、豊臣家の内情が出てしまった」

どんな恐ろしい内情なのでしょうか。

また始まった

気を取り直して、最後はかわいい矢文です。

「ぼくは、ママのお手伝いをして、おこずかいをためて、そして今年もばあちゃんにお年玉をあげました。スゴいでしょー、めっちゃほめて!」(Dくん、10歳)

秀吉「天晴れじゃあーっ!
この者の何が一番素晴らしいかというと、『ママのお手伝いをしておこずかいをためて、おばあちゃんにお年玉をあげた』ということじゃな。

これは一石二鳥。いい事を2回やっとるんじゃ。特に10歳の者が母上のお手伝いをするのは難しいと思う。(反抗期を迎え)『イヤだイヤだ』とずっと言うところを、ちゃんとお手伝いをしとる!清正はそれができるのか!?」

清正「もちろんにございまする!」
秀吉「まことにか!では三成に『ごめんなさい』を言えるのか!?」
清正「うぬぬぬぬ…」

あらら、またまた始まってしまいましたよ。

心が晴れますように

秀吉「なぜ言えないんじゃ!」

清正「いや、元々は仲が良かったんでござりまする」

秀吉「みんなそうじゃ!元は皆仲が良いんじゃよ!何かがあってケンカになるんじゃよ」

清正「三成、拙者のこと讒言(ざんげん。上司にウソの告げ口をすること)いたすんですものぉ。拙者がやっておらんことをアイツが『やった』と言うたがゆえに、秀吉様に怒られ拙者、謹慎の身となりましてござりまする。もちろん無実!」

文禄の役(1592~93年)で、清正と三成の間に亀裂が生じました。
「計画通りにすると秀吉様が不利になる」と考え強引に進撃した、軍務担当の清正。
「清正が勝手な行動をして計画を乱している」と判断し秀吉に報告した、政務担当の三成。
ここからお互い不信感を募らせていったようです。

秀吉「命令を無視して、進軍せんでもいい所まで進軍した!それは事実じゃろ!」

清正「無視しておりませんぞ!むしろ、殿下のやりたいことを親身になって実行したのが儂でござりまする!」

秀吉「それはわがままじゃ!お主の勝手じゃろ!」

清正「そのようなことは…ござりませぬぅぅぅ(泣)」

秀吉「『ごめんなさい』は?」

清正「ぐぉめんなすぁいぃぃぃ(号泣)」

清正だけが傷つく結果となりました。
しかし、かわいい家臣の清正を、傷心のままにしてはおけない秀吉。最後はこの言葉でしめるのでした。

「民の心が、そして清正の心が、あーした天気であーれ!」
(岡戸孝宏)
名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻
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2020年01月20日21時32分~抜粋

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