400年前より現代に蘇りし戦国武将の集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、ラジオ界の天下一を目指す番組『戦国音絵巻』。
1月13日の”出陣”は、前田利家、前田慶次、陣笠隊の足軽・なつです。
この日は利家による、ちょっと脳トレ要素のいる企画「またざ連歌相談室」が行われました。
戦国武将が挑む、風流かつ斬新なラジオ企画「連歌相談室」
お互い大変
「またざ」は利家の別名・又左衛門(またざえもん)から取り、40年以上続いた伝説的なラジオ番組『全国こども電話相談室』をもじって付けられたコーナータイトル。
しかし内容はかなり高尚なもので、連歌(れんが)という和歌遊びが元になっています。
連歌とは、「五・七・五」の上の句と、「七・七」の下の句を1人1人続けざまに詠み上げていくものです。
まず、えまき~(音絵巻リスナー)が利家に相談したいことを「五・七・五」の形にし、矢文(メール)で送ります。
それに対して利家が即興で「七・七」の形で答えるという、送る方も受ける方も非常に頭脳を使うコーナーなのです。
しかし内容はかなり高尚なもので、連歌(れんが)という和歌遊びが元になっています。
連歌とは、「五・七・五」の上の句と、「七・七」の下の句を1人1人続けざまに詠み上げていくものです。
まず、えまき~(音絵巻リスナー)が利家に相談したいことを「五・七・五」の形にし、矢文(メール)で送ります。
それに対して利家が即興で「七・七」の形で答えるという、送る方も受ける方も非常に頭脳を使うコーナーなのです。
矛先が変わった
では早速、進めていきましょう。
「頑張っても 成果が出ない 何でだろう」(Aさん)
この上の句の相談に対する答えとして、利家が下の句を詠み上げます。
「なおの努力が 必要だでな」
なるほど。まだまだ頑張りが足らない、ということですか。
利家「完成しとらんのであれば、足らん。完成してやっと努力と呼ばれるものだで。それまでは階段の途中だで。もっと上を目指さんとあかんで」
慶次「石段を駆け上がるがごとき。山城(やまじろ)・竹田城を登ってみよ!」
竹田城の城跡は現在の兵庫県にあります。標高350メートル以上の山頂に築かれ、“天空の城”“日本のマチュピチュ”とも呼ばれています。
そんな竹田城を登るように、高みを目指せと慶次は言うのでした。
慶次「確かに、儂(わし)もこういうのは思い当たる節がございますので、(A氏は)もっともっと頑張らにゃいかんということですな」
利家「うむ、お主(慶次)はそういう所がある。人の馬を盗む前に、もっとええ馬を探す努力をしてこい」
慶次「なぜか儂のダメ出しになっておる、この企画(笑)」
慶次はかつて、叔父である利家の愛馬・松風を乗り逃げしたという逸話があります。いきなり矛先を向けられバツの悪い慶次、すぐ次の矢文の紹介へ促します。
「頑張っても 成果が出ない 何でだろう」(Aさん)
この上の句の相談に対する答えとして、利家が下の句を詠み上げます。
「なおの努力が 必要だでな」
なるほど。まだまだ頑張りが足らない、ということですか。
利家「完成しとらんのであれば、足らん。完成してやっと努力と呼ばれるものだで。それまでは階段の途中だで。もっと上を目指さんとあかんで」
慶次「石段を駆け上がるがごとき。山城(やまじろ)・竹田城を登ってみよ!」
竹田城の城跡は現在の兵庫県にあります。標高350メートル以上の山頂に築かれ、“天空の城”“日本のマチュピチュ”とも呼ばれています。
そんな竹田城を登るように、高みを目指せと慶次は言うのでした。
慶次「確かに、儂(わし)もこういうのは思い当たる節がございますので、(A氏は)もっともっと頑張らにゃいかんということですな」
利家「うむ、お主(慶次)はそういう所がある。人の馬を盗む前に、もっとええ馬を探す努力をしてこい」
慶次「なぜか儂のダメ出しになっておる、この企画(笑)」
慶次はかつて、叔父である利家の愛馬・松風を乗り逃げしたという逸話があります。いきなり矛先を向けられバツの悪い慶次、すぐ次の矢文の紹介へ促します。
努力、努力、努力
続いては、新成人のえまき~から。
「成人式 行ったが大人の 実感無い」(Bさん)
確かに、式に出席したからと言って環境が激変するわけでもありませんからね。
では、下の句です。
「大人は人に 言われるものなり」
慶次「おっ。普通~(笑)」
利家「おおーっ!儂、結構ええこと言うたよ今!深いこと言うたよ!?さっきのがよっぽど普通のこと言うたでや」
まあ、先程のAさんへの答えは「もっと努力しろ」という、何のひねりもないアドバイスですからね。
なつ「実感するものではない、と」
利家「自分でわかるもんではにゃあで。人に言われて、初めて大人の仲間入りだで。自分で大人だと言うとるうちは、まだ背伸びしてる子どもと変わらんで」
他人に「大人だ」と認められて大人になる。成人式はそのためのきっかけに過ぎない、と。
慶次「1秒でも早く大人だと言われるよう、努力をもっともっとするということですな」
利家「さよう。だで、主(ぬし)はもっと努力した方がええ」
慶次「わっはっはっはっは!次の矢文に行こうか(苦笑)」
またもや矛先を向けられる慶次なのでした。
「成人式 行ったが大人の 実感無い」(Bさん)
確かに、式に出席したからと言って環境が激変するわけでもありませんからね。
では、下の句です。
「大人は人に 言われるものなり」
慶次「おっ。普通~(笑)」
利家「おおーっ!儂、結構ええこと言うたよ今!深いこと言うたよ!?さっきのがよっぽど普通のこと言うたでや」
まあ、先程のAさんへの答えは「もっと努力しろ」という、何のひねりもないアドバイスですからね。
なつ「実感するものではない、と」
利家「自分でわかるもんではにゃあで。人に言われて、初めて大人の仲間入りだで。自分で大人だと言うとるうちは、まだ背伸びしてる子どもと変わらんで」
他人に「大人だ」と認められて大人になる。成人式はそのためのきっかけに過ぎない、と。
慶次「1秒でも早く大人だと言われるよう、努力をもっともっとするということですな」
利家「さよう。だで、主(ぬし)はもっと努力した方がええ」
慶次「わっはっはっはっは!次の矢文に行こうか(苦笑)」
またもや矛先を向けられる慶次なのでした。
仕事が全てではない
「おかしいな 仕事ないのに 時間ない」(Cさん・上の句)
「それだけ生(せい)が 満ちたる証拠」(利家・下の句)
時間がないと思うということは、結局何かをやっていると。それだけやることがあるというのは、人生が満ち足りているんだと。
そして、仕事がないというCさんの嘆きにも言及します。
利家「人生、仕事だけではにゃあでな。仕事はあくまでも生きていくための術(すべ)のひとつだで。銭を稼ぐためのもんだで。
(重要なのは)その銭を何に使っとるか。その“時”を何に使っとるかっちゅうことだわ」
この言葉に慶次も同感。自由気ままに生きた戦国時代に思いを馳せます。
慶次「どういう選択をして生きていくか。儂は『仕事をしない』というのを選んだ」
利家「たわけ。働け」
慶次「ムチャクチャじゃあ!今、言うとった!『仕事が全てではない』と」
利家「ムチャクチャではない!自分が食うていくだけの銭は稼がんといかんよ?それは自分の責任だで。人にせびるもんではにゃあで」
自由気ままに生きた慶次に苦労させられた利家は、諭すように語るのでした。
慶次「ただ、誰にも迷惑はかけていない」
利家「かかっとるんだわ!」
慶次「よし、次の矢文。次、次!」
現代でもなお苦労させられているようです。
「それだけ生(せい)が 満ちたる証拠」(利家・下の句)
時間がないと思うということは、結局何かをやっていると。それだけやることがあるというのは、人生が満ち足りているんだと。
そして、仕事がないというCさんの嘆きにも言及します。
利家「人生、仕事だけではにゃあでな。仕事はあくまでも生きていくための術(すべ)のひとつだで。銭を稼ぐためのもんだで。
(重要なのは)その銭を何に使っとるか。その“時”を何に使っとるかっちゅうことだわ」
この言葉に慶次も同感。自由気ままに生きた戦国時代に思いを馳せます。
慶次「どういう選択をして生きていくか。儂は『仕事をしない』というのを選んだ」
利家「たわけ。働け」
慶次「ムチャクチャじゃあ!今、言うとった!『仕事が全てではない』と」
利家「ムチャクチャではない!自分が食うていくだけの銭は稼がんといかんよ?それは自分の責任だで。人にせびるもんではにゃあで」
自由気ままに生きた慶次に苦労させられた利家は、諭すように語るのでした。
慶次「ただ、誰にも迷惑はかけていない」
利家「かかっとるんだわ!」
慶次「よし、次の矢文。次、次!」
現代でもなお苦労させられているようです。
ダイエットは贅沢の極み
最後は、年末年始に飲み食いし過ぎて、ダイエットがままならないというえまき~からです。
「おかしいな 増えた体重 戻らない」(Dさん・上の句)
「それだけ富(とみ)に 満ちたる証拠」(利家・下の句)
先程の句に似せて下の句を返すとは。昔の名作を真似て新しい歌を作る、いわゆる「本歌取り」という技法ですね。いや、この場合作者本人の作品を真似ているので、ちょっと違いますけれども。
利家「食えるっちゅうのはこれ以上ない幸せなんだで」
慶次「確かに戦国時代でもそうでしたな」
利家「儂らの頃なんか食いたくても食えんのだで。そんなのは贅沢の極み!」
これには、庶民であるなつも大きくうなずきます。
利家「痩せたければ頑張れ!」
結局は何事も努力をしろという結論の、「当たり前だ!」と言いたくなる相談企画でした。前田だけに。
(岡戸孝宏)
「おかしいな 増えた体重 戻らない」(Dさん・上の句)
「それだけ富(とみ)に 満ちたる証拠」(利家・下の句)
先程の句に似せて下の句を返すとは。昔の名作を真似て新しい歌を作る、いわゆる「本歌取り」という技法ですね。いや、この場合作者本人の作品を真似ているので、ちょっと違いますけれども。
利家「食えるっちゅうのはこれ以上ない幸せなんだで」
慶次「確かに戦国時代でもそうでしたな」
利家「儂らの頃なんか食いたくても食えんのだで。そんなのは贅沢の極み!」
これには、庶民であるなつも大きくうなずきます。
利家「痩せたければ頑張れ!」
結局は何事も努力をしろという結論の、「当たり前だ!」と言いたくなる相談企画でした。前田だけに。
(岡戸孝宏)
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