名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻

祝・松坂大輔復活!「松坂世代」を武士語で言い換えてみた

400年前より現代に蘇りし戦国武将の集団・名古屋おもてなし武将隊®が、ラジオ界の天下一を目指す番組『戦国音絵巻』。
4/30の"出陣"は、徳川家康、加藤清正、陣笠隊の足軽・哉太郎(やたろう)です。

この日、プロ野球の中日ドラゴンズ・松坂大輔投手がナゴヤドームの対横浜DeNAベイスターズ戦で勝利投手となりました。

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輝かしい実績の数々

日本プロ野球界における松坂大輔投手の勝利は、西武ライオンズ時代の2006年以来、約12年ぶり・4241日ぶりです。メジャーリーガー時代から数えても約4年ぶりの勝利で、大きな話題となりました。

なぜ彼が注目を浴びるかというと、その実績が凄いからです。
まず、横浜高校時代の1998年、夏の甲子園で59年ぶり史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランを達成し優勝。甲子園の春・夏連覇の偉業を成し遂げます。

西武に入団後は、1年目に16勝を挙げ新人王に輝くと、高卒投手では史上初となるルーキーイヤーから3年連続最多勝を獲得。

2006年、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で大会最多の3勝を挙げ、MVPを獲得。

その年のシーズンオフにポスティング(入札)でボストン・レッドソックスに移籍。総額5200万ドル(約61億円)の6年契約を結びます。
メジャー1年目となる2007年に15勝を挙げ、ワールドシリーズで日本人初の勝利投手になるなど、チームの世界一に貢献。

2009年、第2回WBCの日本代表に再び選ばれると、またもや3勝を挙げ2大会連続MVPとなります。

ここから彼は肩や肘などの故障に悩まされ、低迷していくことになるのですが、それまでの活躍が目覚まし過ぎるのです。

豪華絢爛、松坂世代

藤川球児投手(阪神)、和田毅投手(ソフトバンク)、杉内俊哉投手(巨人)など、松坂投手と同世代の多くの選手がプロ入りし、活躍をしたこと。
更に、他のスポーツ競技者や芸能界にも同世代で活躍する者が多かったこと。
それらのことから、松坂投手と同学年の、1980年4月2日~1981年4月1日生まれに対してマスコミが“松坂世代”と呼ぶようになっていきました。

芸能人で例を挙げますと、男性ではディーンフジオカ、星野源、高橋一生、大野智(嵐)、岡田准一(V6)、妻夫木聡、小島よしお、又吉直樹(ピース)、ATSUSHI(EXILE)。
ちなみにATSUSHIはその縁もあって、松坂投手がマウンドに登場する時の曲を書き下ろしています。

女性では壇蜜、広末涼子、竹内結子、優香、小池栄子、眞鍋かをりなどなど。そうそうたる顔ぶれですね。

先手を取られた!

そんな「松坂世代」を、戦国時代っぽくするとどうなるのでしょう?
まずは、哉太郎が先陣を切ります。

「拙者、哉太郎が松坂世代を武士語変換すると!『織田信長様時代』にございまする」

して、その心は?

「これはもう文字のごとく、戦国武将で一番有名な織田信長様。同じ時代に生まれたのが、此度(こたび)出陣されておりまする徳川家康様と、そして豊臣秀吉様もおりまするゆえ、誠に織田信長様時代というのがピッタリかなと思いまして」

織田信長様“世代”と言うと、範囲が狭まってしまうため、範囲の広い“時代”という表現にしたということです。

この哉太郎の案を聞いていた清正が、何やら落ち着かない様子で、刀をこねくり回しています。それを見て怯える哉太郎。

清正「哉太郎は、拙者の心が読めるのかと…(汗)」

家康「…!まさか!?」
清正「いやいや、お待ちくだされ徳川様。哉太郎よりいいものを考えました」
家康「被ったわけじゃな(笑)」

このコーナーでは、変換案を発表する順番は決まっておらず、自分の案に似たモノが先に言われてしまう“ネタ被り”がたまにあります。
動揺した清正ですが、気を取り直して発表します。

カッコ良さ重視

「では、わし加藤清正が松坂世代を武士語変換いたすと!『織豊(しょくほう)の代』」

“織豊”とは、織田信長と豊臣秀吉の頭文字を取った言葉です。信長と秀吉が実権を握っていた時代、戦国時代末期から江戸時代前までのいわゆる「安土桃山時代」を、別名「織豊時代」と言います。

もちろん、当時はそんな呼び方をしていたわけではなく、現代の歴史用語ではありますが、戦国時代に沿った言葉なので使っても大丈夫です。

この時代は、多くの名立たる武将や、千利休などの文化人を生み出していました。そして清正は信長だけではなく、自らの主君・秀吉の名も際立たせたい、「実はわし、織豊の代なんじゃ」と皆にカッコ良く言ってもらいたいという気持ちを込めて、考えたということです。

ネタが被りながらも、カッコ良さで上積みしてきた清正。何とか気持ちを強くできたようです。

細かく見えるとは?

「では、わし徳川家康が松坂世代を武士語変換いたすと!『花の四十二年組』である」

天下人・家康は1542年生まれ。忍者で世界的に有名な、服部半蔵正成も1542年生まれ。水軍として最強を誇った、九鬼嘉隆も1542年生まれ。そして、“花の慶次”こと前田慶次も1542年生まれ(諸説あり)。

「まさにこの1年間で、綺羅、星の如く人材が輩出された。花の四十二年組じゃ!」

これに対し清正は泣きつきます。
「徳川様ぁぁぁ。それを出してしまいましたら、拙者と哉太郎が“細かく”見えてしまいまするぅぅぅ」

「何じゃ、細かく見えるとは(笑)。『小粒に見える』であるとか、『小さく見える』ならわかるが」と困惑する家康。

家康から豊富な情報量で気圧された清正、つい頭が混乱してしまったようです。

結果発表!

さて、この「武士語変換」では、番組公式のLINEを使い、どの変換案が良かったのかをリスナーがアンケートで投票。得票数が一番多かったものを「MBG」(最も良かった・武士・語)として、その名誉を称えています。

その投票結果が番組エンディングで発表されました。詳細はこちらです。

【3位】「織田信長様時代」(哉太郎)・・・30票
【2位】「織豊の代」(清正)・・・86票
【1位】「花の四十二年組」(家康)・・・118票

というわけで、見事MBGを勝ち取ったのは家康でした。
家康は元々、松平家の生まれで、松平元康という名前だったので、言わば“松平世代”。松坂世代とは相性が良いのかもしれません。
(岡戸孝宏)
名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻
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2018年04月30日21時06分~抜粋

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