名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻

「イケメン」を戦国時代っぽく言うと?

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戦国武将である豊臣秀吉、加藤清正がラジオ・パーソナリティを務めました。
と言っても、これは名古屋おもてなし武将隊の話。


番組では、現代に溢れる難解な言葉を、400年前より蘇った武将たちが用いている言葉、つまり“武士語”に変換しています。
そして毎週、一つのお題に対して、月曜~木曜までの出演者がそれぞれ独自に変換した武士語を披露。
毎日、その日の代表となる武士語を決め、最終日の木曜に、リスナーからの投票で“MBG(最も・素晴らしかった・武士語)”を決めるという、かなりセンスが求められる高尚な企画です。
 

左から章右衛門・豊臣秀吉・加藤清正

豊臣秀吉、加藤清正、足軽の章右衛門に与えられたお題はこちら。

『イケメン』

意味は、美男子。「イケてる」+英語の「men」に、「面」の意味が加わったもので、2000年くらいから使われている言葉です。

女の子のような男の子


さて、これをどのように変えてくれるのでしょうか。
まず、足軽である陣笠隊・章右衛門が出した案は「織田面(おだづら)」。

その理由は第一に、織田信長は男前の顔立ちであったこと。
そして、織田家には、織田九右衛門(おだ・くえもん)という人物がいたそうです。

名古屋山三郎(なごや・さんさぶろう)という名前の方がピンとくる方もいるでしょう。
妻は、歌舞伎の祖である出雲阿国(いずものおくに)だったと言われています。

彼は尾張出身の武将で、15歳の時に豊臣秀吉の家臣だった蒲生氏郷(がもう・うじさと)に見出され、
小姓となります。
身の回りの世話をする、秘書みたいな役割です。

そのあまりの美貌に蒲生氏郷は最初、彼を少女なのではないかと思い、 小姓ではなく嫁にするため身元を調べたという、逸話もあるそうです。
もし現世に蘇っていたら、女性にしかみえない容姿の男性“男の娘(こ)”になっていたかもしれませんね。

彼のように織田家には容姿端麗な方々が多いという章右衛門。
言われてみれば、信長の妹・お市の方、小姓・森蘭丸、家臣・前田利家も、美麗だと伝えられていますね。

続いて、加藤清正が出した案は「武頼漢(ぶらいかん)」

元々「無頼漢」という言葉がありますが、こちらは「ならず者」という意味。
「頼るものが無い→自分の力で生きる→手段は選ばない→素行が悪い漢(おとこ)」ということですね。

それに対して「武頼漢」は、武勇に秀でており、頼りになる男だと説明する加藤清正。
見た目だけではなく、中身も備わってこそイケメンであると。

恥ずかしい展開


最後に豊臣秀吉が出したのは「民の、信面(のぶめん)」

秀吉は農民出身であるため、民を大事にしたいという思いから必ず“民の”を付ける事にしています。
主君である信長の顔がかっこいいからという理由ですが、まさかあの章右衛門とネタかぶり。
これは恥ずかしい展開です。

どの言葉を代表にするかを決めるのは軍師、つまりディレクターなのですが、実は章右衛門の「織田面」に決めかけていたのです。
しかし秀吉とかぶってインパクトが薄れてしまい、急遽清正の「武頼漢」が代表となったのでした。

織田九右衛門という歴史的な知識が得られて高尚な要素のある章右衛門案を、やや薄っぺらい感のある秀吉案が潰してしまったようで、章右衛門にとっては気の毒な結果となりましたが、そこは足軽と武将、文句は言えません。

ただ、秀吉も章右衛門も「ぶらいかん」という言葉の響きが気に入ったご様子。
お互いに「お主は武頼漢じゃな」「秀吉様も武頼漢でござりますね」と言い合って、悦に入っていました。

まあ「織田面」も「信面」も、織田信長に失礼な感じでもあるし、実際に使ったら“無礼漢”と言われてしまうかもしれません。
これでよかったと言えましょう。

さてこの「武頼漢」、果たしてMBG獲得なるかは、今週木曜日までお楽しみに。
(岡戸孝宏)
名古屋おもてなし武将隊® 戦国音絵巻
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2017年03月13日21時00分~抜粋

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