400字詰めの原稿用紙が多い理由

丹野みどりのよりどりっ! / カルチャー

こどもの学校の宿題を手伝っていた時に、久しぶりに原稿用紙を目にしたAさん。Aさんが小さかった時と同じように、400字詰めの原稿用紙だったそうなんですが、ふとこんな疑問が浮かんだそうです。

「どうして原稿用紙は400字詰めなの?」

1月15日の『丹野みどりのよりどりっ!』では、「原稿用紙」についてのキニナルを調査しました。

今回の回答者

「どうして原稿用紙は400字詰めが多いの?」というキニナルに答えていただいたのは、株式会社舛屋の代表取締役社長、川口昌洋さん。

株式会社舛屋は明治15年創業の紙製品メーカーの老舗で、作家などから直接依頼を受けて作る原稿用紙を始め、便箋、封筒、ノートなどを製造・販売している会社です。
 

400字詰めの原稿用紙が多い理由

早速本題の「どうして原稿用紙は4000字詰めが多いのか」について伺ってみました。

川口さん「諸説あるのですが、その一説をお話します。
昔は木を削って文字を彫った『版木』というものを使って、1枚1枚手刷りで印刷をしていました。主に中国から入ってきたお経などを、美濃判というサイズの用紙に印刷することが多くあったのですが、その際に字が小さすぎると文字が読みにくく、また木に文字を彫る関係で字が小さすぎると文字を彫りづらいという問題がありました。

読みやすさと彫りやすさを考えた結果、落ち着いたのが今の20×20の400字とされています。

ただ、当時はマス目はなく、用紙に20×20の文字数でそのまま印刷されていました。
ちなみに、江戸時代の国学者塙保己一がまとめた『群書類従』という書物が現存しているのですが、マス目はないものの20×20の形できれいに文字が並んでいます」

今のようにコピー機のない時代には、文字を彫って印刷する必要があり、400字という字数にはその時の名残があったわけですね。
 

今のようなマス目が使われるようになった時期

字数が400になった理由はわかりました。
では、原稿用紙にマス目がつくようになったのはいつ頃なのでしょうか?

川口さん「明治に入ってから現在のようなマス目のある原稿用紙が使われるようになったとされています。
もともと日本語の文字はかな文字ということもあって、つなげて書くことが多くありました。そのため、マス目で区切られると書きづらく、罫紙(けいし)と呼ばれる縦線が入った用紙を用いることが多くありました。
ですが、明治に入り字数を数える必要が出てきたため、数えやすいマス目が採用され、現在のような原稿用紙の形になりました」

明治時代に入り、小説家やいわゆる文豪たちが登場したことも大きいのかもしれません。
 

漢字の国・中国の原稿用紙

中国語は漢字で文字を書きますが、日本と同様に原稿用紙が使われているのでしょうか?

川口さん「もともと中国にはマス目のある用紙があり、中国からマス目の入った用紙が日本に入ってきたという説もあります。
中国語は日本語とは違って続けて書くことが少なく、一つ一つの漢字を独立して書くことが多くあります。文字を綺麗に並べるために、中国にも日本の原稿用紙と似たようなものがあります」

書道など文字をきれいに見せる文化が、原稿用紙できれいに書こうというマインドにつながっているのかもしれませんね。
 

用紙の真ん中にある【】

原稿用紙の真ん中には【】のようなものがあります。これは何なのでしょうか?

川口さん「あのマークのことを、魚の尾と書いて『魚尾(ぎょび)』といいます。

この魚尾の役割ですが、まず、あのマークの山になっている部分で折ると用紙をちょうど半分に折ることができます。
また、魚尾のある柱の部分には本のタイトルやページ数を書き入れられるようになっています。
昔は、原稿用紙を袋とじの状態にして保管することが多く、その文化の名残としてこのようなデザインになっています」

「魚尾」という名前だったんですね。
原稿用紙というと作文や読書感想文など、先生から書かされたという印象を持つ人も多いでしょうが、実は文化を反映した奥深いものです。
原稿用紙を使って、文章を書いてみるのもたまにはいいかもしれませんね。
(おきな)
 
この記事をradikoで聴く

2019年01月15日16時38分~抜粋

この記事をシェアする

あなたにオススメ

アーカイブ

同じカテゴリー

×