丹野みどりのよりどりっ!

杉山清貴が語る、オメガトライブ解散の真相とは?

8月17日放送の『丹野みどりのよりどりっ!』に、歌手の杉山清貴さんがゲスト出演しました。

1983年に「杉山清貴&オメガトライブ」のボーカルとしてデビューし、解散後1986年にソロデビューした杉山さん。今年でデビュー35周年を迎えました。年齢も59歳で来年還暦という大きな節目です。
オメガトライブも再結集して精力的な活動をしている杉山さんに、パーソナリティの丹野みどりが話を伺いました。

昔はピリピリしていたけれど

とても還暦手前とは思えない若々しい杉山さんは、波乗りが趣味で、生活の一部だと言い切るほど。それが若さを保っているのでしょう。

さて、オメガトライブは、デビュー20周年の2004年に1度再結集しています。そして35周年の今年も再結集し、5月に日比谷音楽堂で野外ライブを開催。その模様が収録されたDVD及びブルーレイ『The open air live “High&High 2018”』が、9月12日に発売されます。

それぞれの再結集での雰囲気の違いを、杉山さんが語ります。

「前回の再結集ではライブツアーを何本か回ったんですけど、15年ぐらい前ですから、僕ら40代前半で、気持ちがイケイケなんですよね。そうすると、もちろんメンバーはみんな仲がいいんですが、何かリハーサルでもピリピリしたモノがあったんです。昔はね」

「今回は、ゼロでした。ピリピリ感はないです(笑)。全員がお互いを思いやりながら、『大丈夫か?ムリすんなよ』とか、そんな感じです」

重ねた歳が成せる業だということです。

昔取った杵柄

20年ぶりや35年ぶりと一言で言っても、普通ならそんなにブランクがあれば、みんなで音を揃えるのも難しいというものです。
しかもオメガトライブの場合、音楽業界に残っているのは杉山さんとドラムの廣石恵一さん(現・クレイジーケンバンド)の2人のみ。後は全員独自の仕事を持っており、楽器は趣味でやっている程度だというのです。

杉山さん「それが再集結ですから。リハーサルはほとんどリハビリみたいなものです(笑)」

趣味でやっていることと、プロとの差はどのように埋めていったのでしょう?

杉山さん「やっぱりヤツらもね、感覚がすぐ戻るんです。だからリハーサルは本当に苦労はなかったです。大丈夫かなあっていう心配はあったんですよ。でもそれぞれが自分を分かってるので、前もってちゃんと予習してきたんです(笑)。そんな感じでやってたんでメッチャ楽しかったですね」

アーティストからボーカリストへ

一方、杉山さんはソロとしても今年5月にオリジナルアルバム『MY SONG MY SOUL』をリリースしています。

実は2年前の2016年にアルバム『OCEAN』を作った際、「それまで自分がやってきたことが終結したかなって気がした」という杉山さん。もうそこまで“アーティスト・杉山清貴”を出していく必要はないかなと思ったんだそう。杉山さんは作曲を中心に創作活動も続けていたのでした。

杉山さん「じゃあ、これからはボーカリストとしてどこまで歌っていけるのかっていうのを、やってみたいなと思って。それでいろんな作家の方たちに頼んで作ってもらって」

なので、『MY SONG MY SOUL』は“ボーカリスト・杉山清貴”という要素が全面的に出ており、「自分の中で新たな一歩が踏み出せた」と語るのでした。

デビューのきっかけは

杉山さんがデビューしたのは24歳。割りと遅めです。
そもそもデビューのきっかけはどんな感じだったのでしょう?

「きゅうてぃぱんちょす」というアマチュアバンドで活動していた杉山さん。ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に3期ぐらいずっと出場していたのですが、メンバー間で「コンテストはもういいかな」という話になり、それからライブハウスを中心に活動するようになったそうです。

杉山さん「ライブハウスを回っている時か、たまたまコンテストに出てる時を見てくれた方が、ある人を紹介してくれて、それでデビューという。ホント、シンデレラストーリーは何もないです(笑)」

高校時代に結成し卒業後もバンド活動をしていた杉山さんは当時、父親からこう言われたそうです。

「大学に行ったと思っているから、大学在学に相当する期間(4年間)は音楽活動を頑張れ。そろそろ卒業だなって頃に先が見えてなかったら、実家に帰って来い」

猶予期間を設けられた杉山さんですが、「もしかしたら今年中に実家に帰らなきゃいけないかも」というギリギリの時にようやくデビューが決まったんだとか。

もし、実家に帰っていたとしたら、父親は公務員で家を継ぐということでもないので、何かしら就職させられていただろうと杉山さんは語ります。

ちなみに、杉山さんには歌手になりたいという気持ちはずっとなかったそうで、ただただ「このメンバーと楽しくバンドを少しでも長く一緒にやりたい」という、計画性のない気持ちだったそうですよ。

まるでキャンディーズのよう

そして「杉山清貴&オメガトライブ」と名を改め、いよいよ世に出た後は、あれよあれよという間にヒットを連発。

しかし、自分たちの作品なら「これは売らなきゃ!」と力を入れていたでしょうが、デビュー後の楽曲は他人から作ってもらっていたため、「別に僕らが頑張ろうが何しようが、売れるかどうかはわからない」という、俯瞰の目で自分たちを見ていたそうです。
「ああ、売れてるねえ」「ヤバい、売れてきたぜこの曲」と、他人事のような感覚だったんだそう。

そうこうしている内に2年8ヵ月が経ち、突然の解散となります。その真相を杉山さんが語ります。

「『このまま俺たちやってて、どうするんだろう?』って。自分たちで楽曲作ってないし、アルバムではちょっと作ってますけど、メインではないし。楽曲から見放されたら俺たち何にも残らないなって思った時に、『じゃあ今売れてる内に解散しようぜ!』って言って」

「しかも、バンドの中だけで決めて、大人には誰にも相談してないですし。レコード会社、事務所、無視です。当時はそれで大丈夫にしちゃいました。今だったら大変な騒ぎになってると思うんですけど」

「先々の予定全部ブッチ切っちゃいました。ライブツアーも先まで決まってるのに『いや、そこまでやりません僕ら』とか言って。酷いですよ、ガキですからね。逆に僕らはそこまで自分たちのことが心配だったんです。会社なんかどうでもいい。俺たち売れなくなったら何にも残らないじゃん、じゃあ解散しようと」

人気絶頂の中、独断で解散を決めるのは、キャンディーズ以来ではないでしょうか。

アマチュアからプロへ

解散して、さあ自分で適当にフラフラやろうかなと思っていた杉山さん。

ただ、大人の社会はそう簡単には行きません。レコード会社から「お前、契約が残ってんだから。ソロでやれ」と言われて、自らが作曲した『さよならのオーシャン』でソロデビューしたということです。

この話を踏まえた上で、改めてこの曲を聴くと違った感じになると杉山さんは言います。

「ものすごい真剣味があると思います。オメガトライブの頃なんて、プロデューサーにレコーディングでビシビシ言われて、『じゃあお前が歌ってみろよ!』って言い返してましたからね。ホントにアマチュアでした。酷いもんです(苦笑)」

そんな若気の至りを経てプロ意識に目覚め、そんなこんなで35年。
現在はソロでアコースティックツアーを展開中、来年にはオメガトライブでのツアーも控えている杉山さん。今後の活躍にも期待しましょう。
(岡戸孝宏)
丹野みどりのよりどりっ!
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2018年08月17日16時30分~抜粋

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