歌手、声優として活躍中の山野さと子さんが、2月24日放送のCBCラジオ『神谷明 TALK!×3』に出演しました。
パーソナリティの神谷明とはデビュー前から40年近いお付き合い、という山野さん、今回はデビューから、あの誰もが知っているアニメの2代目シンガーという大役を任されるまでを話します。
山野さと子、あの国民的アニソン2代目担当に「私でいいんでしょうか?」
小学校の作文に書いたこと
「歌うことは本当に好きで、3~4歳ぐらいからずっとテレビで歌のお姉さんが出る番組を見ていつも一緒にテレビの前で歌ったり、母が買って来てくれた童謡のレコードに合わせて寝るまでずーっと歌ってました」と山野さん。
小学生になると歌っていた歌が童謡からテレビの歌謡曲へと変わり、ピンクレディーの真似をしていたそうです。ちなみに山野さんは1963年生まれで55歳。
山野「でも自分は大阪にいるし(出身は大阪府東大阪市)、歌手にはなれないと思ってたんですけど、アニメを見ててアニメソングというものに出会って、『キャンディキャンディ』とかをずっと歌ってました」
数年前に実家の押入れから、小学校の時の作文が出てきたそうです。
山野「そこに、『私は大きくなったら歌のお姉さんになって、みんなに夢を与えたいです』って書いてあったんですよ!それ全然覚えてなくて、その作文が出てきてびっくりしました」
その夢を、いま実現しているわけです。
小学生になると歌っていた歌が童謡からテレビの歌謡曲へと変わり、ピンクレディーの真似をしていたそうです。ちなみに山野さんは1963年生まれで55歳。
山野「でも自分は大阪にいるし(出身は大阪府東大阪市)、歌手にはなれないと思ってたんですけど、アニメを見ててアニメソングというものに出会って、『キャンディキャンディ』とかをずっと歌ってました」
数年前に実家の押入れから、小学校の時の作文が出てきたそうです。
山野「そこに、『私は大きくなったら歌のお姉さんになって、みんなに夢を与えたいです』って書いてあったんですよ!それ全然覚えてなくて、その作文が出てきてびっくりしました」
その夢を、いま実現しているわけです。
きっかけは妹のアニメ雑誌
山野さんのデビューのきっかけは、1980年(昭和55年)に公開されたアニメ映画『地球へ…』(恩地日出夫監督)の主題歌コンテストでした。
山野「妹はアニメを見るのが好きで、私は歌うのが好きだったんです。『こんなコンテストの募集があるから。お姉ちゃん、歌好きやから応募してみたら?アニメソングもええ歌、いっぱいあるやん』ってアニメ雑誌を持ってきて」
当時のコロムビアレコード主催のコンテストで、その雑誌には「あなたも優勝したらアニメソング歌手に」と書いてあったそうです。
山野「妹はアニメを見るのが好きで、私は歌うのが好きだったんです。『こんなコンテストの募集があるから。お姉ちゃん、歌好きやから応募してみたら?アニメソングもええ歌、いっぱいあるやん』ってアニメ雑誌を持ってきて」
当時のコロムビアレコード主催のコンテストで、その雑誌には「あなたも優勝したらアニメソング歌手に」と書いてあったそうです。
コンテスト用のレコードも販売
山野「アニメソングの人って顔はテレビに出ないけど声は歌で流れるし、それが本当になったら、凄く面白いなあと思って、『ほな、応募してみるわ』って言って部屋にこもって『地球へ…』の課題曲を録音しました」
『地球へ…』の主題歌「地球へ…(Coming Home To Terra)」を歌っていたのは、夫婦デュオグループのダ・カーポ。
課題曲はそのオープニング曲かエンディング曲「愛の惑星(プラネット)」のどちらかを選べました。
当時はコンテスト用にカラオケだけが入ったシングルレコードも発売されたそうです。
山野「オープニングは、ちょっとアップテンポなもので、最後、高いんですよ。音域が凄く広くて。エンディングはバラードで、歌いやすいなと思ってて、自分的にはどっち歌おうかなって悩んだ挙句、エンディングの『愛のプラネット』を選びました」
山野さんはカラオケの方を流して歌いながらカセットに吹き込んだそうです。
『地球へ…』の主題歌「地球へ…(Coming Home To Terra)」を歌っていたのは、夫婦デュオグループのダ・カーポ。
課題曲はそのオープニング曲かエンディング曲「愛の惑星(プラネット)」のどちらかを選べました。
当時はコンテスト用にカラオケだけが入ったシングルレコードも発売されたそうです。
山野「オープニングは、ちょっとアップテンポなもので、最後、高いんですよ。音域が凄く広くて。エンディングはバラードで、歌いやすいなと思ってて、自分的にはどっち歌おうかなって悩んだ挙句、エンディングの『愛のプラネット』を選びました」
山野さんはカラオケの方を流して歌いながらカセットに吹き込んだそうです。
騙されてへんか?
山野「今は誰でもパッと行けちゃう感覚ですけど、あの頃、ハワイ旅行っていうと凄いと思って」
副賞はペアでハワイ旅行だったそうです。当時はまだまだ夢のハワイです。
応募締め切りが3月19日、4月12日に『地球へ…』のフェスティバルがあり、その会場で最終審査及び発表というスケジュールでした。何千通かの中から11人が選ばれて会場に行ったそうです。
山野さんが合格を知ったのは春休み。外出先から家に電話をした時のことでした。
山野「『なんか東京のコロンビアから電話があってんけど、東京に来いって言うてはるねんけど、あんた大丈夫かな?騙されてへんかな?あんたが送ったやつが受かったらしいよ』って母が言うんです」
副賞はペアでハワイ旅行だったそうです。当時はまだまだ夢のハワイです。
応募締め切りが3月19日、4月12日に『地球へ…』のフェスティバルがあり、その会場で最終審査及び発表というスケジュールでした。何千通かの中から11人が選ばれて会場に行ったそうです。
山野さんが合格を知ったのは春休み。外出先から家に電話をした時のことでした。
山野「『なんか東京のコロンビアから電話があってんけど、東京に来いって言うてはるねんけど、あんた大丈夫かな?騙されてへんかな?あんたが送ったやつが受かったらしいよ』って母が言うんです」
パンダ見て帰ろ
高校2年生になったばかりの春、母親と一緒に上京し、コンテスト会場の中野サンプラザへ向かった山野さんですが…。
山野「実は風邪を引いてて凄い鼻声。『これは、もうしゃあないな。どうせアカンし、上野でパンダでも見て帰ろうや』ってそんな感じで母と行ったんです」
スタジオでは、山野さんに持って来てもらったその時の歌声を聴いてみます。
神谷「これ、風邪ひいてるの?全然、そんな風には思えないなあ」
山野「自分では凄くわかるんですよね」
ちなみに、この時のMCは『ルパン三世』の石川五右衛門役などで知られる声優の井上真樹夫さん。
「うわ~、(キャプテン)ハーロックだよ!大好きな先輩だったんです」と興奮する神谷でした。
山野「実は風邪を引いてて凄い鼻声。『これは、もうしゃあないな。どうせアカンし、上野でパンダでも見て帰ろうや』ってそんな感じで母と行ったんです」
スタジオでは、山野さんに持って来てもらったその時の歌声を聴いてみます。
神谷「これ、風邪ひいてるの?全然、そんな風には思えないなあ」
山野「自分では凄くわかるんですよね」
ちなみに、この時のMCは『ルパン三世』の石川五右衛門役などで知られる声優の井上真樹夫さん。
「うわ~、(キャプテン)ハーロックだよ!大好きな先輩だったんです」と興奮する神谷でした。
驚きすぎて
このイベントはレコード会社所属の歌手たちによるアニメ主題歌大会、原作の竹宮恵子さんと松本零士さんによるご挨拶、そして『地球へ…』の声優陣がキャラクターの衣装を着てアフレコを再現したり、といった催しがあったそうです。
山野「志垣太郎さんとか井上純一さんとか薬師丸ひろ子さんも出てて。秋吉久美子さんもいらっしゃって凄かったです」。
そしてこの『地球へ…』には、神谷明も出演していました。
こうしたイベントのひとつが、山野さんの出場した主題歌コンテストのグランプリ発表。
グランプリ受賞者として自分の名前が呼ばれた時のことを回想する山野さん。
「あまりにも驚きすぎちゃって、涙がポロポロ出てきたのを覚えてます」
山野「志垣太郎さんとか井上純一さんとか薬師丸ひろ子さんも出てて。秋吉久美子さんもいらっしゃって凄かったです」。
そしてこの『地球へ…』には、神谷明も出演していました。
こうしたイベントのひとつが、山野さんの出場した主題歌コンテストのグランプリ発表。
グランプリ受賞者として自分の名前が呼ばれた時のことを回想する山野さん。
「あまりにも驚きすぎちゃって、涙がポロポロ出てきたのを覚えてます」
二人優勝で副賞は?
グランプリはもともと1人の予定でしたが、この場で急遽、堀池欣也(堀欣也)さんも選ばれて受賞者は二名になりました。
堀さんはテレビアニメ『がんばれ元気』の主題歌で、山野さんより3か月ほど先にデビューしたそうです。
山野「二人一緒に優勝したので、副賞のハワイ旅行も本当はペアだったんですけど、一人ずつに分けて」
神谷「コロンビア、しっかりしてるなあ」
山野「どうせだったら一緒に行こうって夏休みにツアーを組んで、私は母と、堀池欣也君はお姉さんを連れて一緒にハワイに遊びに行きました」
堀さんはテレビアニメ『がんばれ元気』の主題歌で、山野さんより3か月ほど先にデビューしたそうです。
山野「二人一緒に優勝したので、副賞のハワイ旅行も本当はペアだったんですけど、一人ずつに分けて」
神谷「コロンビア、しっかりしてるなあ」
山野「どうせだったら一緒に行こうって夏休みにツアーを組んで、私は母と、堀池欣也君はお姉さんを連れて一緒にハワイに遊びに行きました」
私でいいの?と何度も聞いた
デビュー後は『とんがり帽子のメモル』(1984年)『メイプルタウン物語』(1986年)などの作品で主題歌を歌ってきた山野さん。
1989年には、映画『ドラえもん のび太の日本誕生』(芝山努監督)で主題歌「ドラえもんのうた」を吹き込むことになりました。
「ドラえもんのうた」は、1979年から大杉久美子さんの声で親しまれてきた曲です。
山野「私でいいんでしょうか?とドキドキしちゃって泣きそうでした。『私が歌っていいものでしょうか』って何度も聞きました」
神谷「有名な作品の2代目を受け継ぐような気持ちですもんね」
山野「先輩が歌っていた歌なので、余計に大事に歌っていかなきゃっていう思いと、本当に大切にしなくちゃ申し訳ないという気持ちが凄いありました」
(尾関)
1989年には、映画『ドラえもん のび太の日本誕生』(芝山努監督)で主題歌「ドラえもんのうた」を吹き込むことになりました。
「ドラえもんのうた」は、1979年から大杉久美子さんの声で親しまれてきた曲です。
山野「私でいいんでしょうか?とドキドキしちゃって泣きそうでした。『私が歌っていいものでしょうか』って何度も聞きました」
神谷「有名な作品の2代目を受け継ぐような気持ちですもんね」
山野「先輩が歌っていた歌なので、余計に大事に歌っていかなきゃっていう思いと、本当に大切にしなくちゃ申し訳ないという気持ちが凄いありました」
(尾関)
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