2月24日放送の『北野誠のズバリ』、この日のゲストは浅草キッドの玉袋筋太郎さん。
師匠であるビートたけしさんとのラジオでの衝撃の出会い、たけしさんに顔を覚えてもらおうと必死だった高校生時代、そして「たけし軍団」に入るまでの経緯について詳しく語ってくれました。
「ビートたけしの方が絶対に不良!」玉袋筋太郎、師匠との出会いを語る
クラスの9割が不良だった
師匠であるビートたけしさんとの出会いは、人気深夜番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)。
玉袋さんは、「衝撃的でしたよね」と振り返ります。
「僕らの時代ってものすごい不良が多かったんですよ、新宿だから。ツッパリブームっつって、クラスの9割が不良なんですよ」
自分は不良ではない1割だったと玉袋さん、それはたけしさんの『オールナイトニッポン』を聴いていたおかげだと語ります。
周りの皆が憧れていた不良は、リーゼントに長ランといったわかりやすい不良に、流行りのツッパリバンド。
しかし『オールナイトニッポン』を聴いていた玉袋さんは、そんな不良が「すごくかっこ悪く見えちゃった」といいます。
「俺は、あの人たちは本当は不良じゃねぇなと思ってた。ビートたけしの方が絶対に不良だ、悪ぃことしてる。大人のね、大人の悪さを知ってる。そっちの不良に憧れたんですよ」
玉袋さんは、その辺にゴロゴロしているありきたりな不良ではなく、ビートたけしという本物の不良に心酔していったのです。
玉袋さんは、「衝撃的でしたよね」と振り返ります。
「僕らの時代ってものすごい不良が多かったんですよ、新宿だから。ツッパリブームっつって、クラスの9割が不良なんですよ」
自分は不良ではない1割だったと玉袋さん、それはたけしさんの『オールナイトニッポン』を聴いていたおかげだと語ります。
周りの皆が憧れていた不良は、リーゼントに長ランといったわかりやすい不良に、流行りのツッパリバンド。
しかし『オールナイトニッポン』を聴いていた玉袋さんは、そんな不良が「すごくかっこ悪く見えちゃった」といいます。
「俺は、あの人たちは本当は不良じゃねぇなと思ってた。ビートたけしの方が絶対に不良だ、悪ぃことしてる。大人のね、大人の悪さを知ってる。そっちの不良に憧れたんですよ」
玉袋さんは、その辺にゴロゴロしているありきたりな不良ではなく、ビートたけしという本物の不良に心酔していったのです。
「おう、ビール飲んで行けよ」
『ビートたけしのオールナイトニッポン』の放送日、ニッポン放送の前には「弟子志願」の人や「一度見てみたい」という出待ちの人たちが1,000人クラスで殺到していました。
「そこへ行ってもたけしさんに気づかれない」と思った玉袋さんは、ある行動に出ます。
深夜3時の放送終わりで、たけしさんがいつも軍団を集めて四谷の焼肉屋で打ち上げをしている、という話を番組でポロッと話したことを聴き逃さなかった玉袋さんは、仲間と共にその焼肉屋で待ち伏せするようになりました。
そこに他の出待ちの人は皆無。
「おお、あんちゃんら何やってんだよ。生ビール飲んでくか?」
たけしさんは、高校生だった玉袋さんに毎回声を掛けてくれました。
「そこに入っちゃったら図々しいと思われちゃうから、ずっと断っていたんですよ。行くたびに『おう、ビール飲んで行けよ』と必ず言われてましたね」と玉袋さん。
「そこへ行ってもたけしさんに気づかれない」と思った玉袋さんは、ある行動に出ます。
深夜3時の放送終わりで、たけしさんがいつも軍団を集めて四谷の焼肉屋で打ち上げをしている、という話を番組でポロッと話したことを聴き逃さなかった玉袋さんは、仲間と共にその焼肉屋で待ち伏せするようになりました。
そこに他の出待ちの人は皆無。
「おお、あんちゃんら何やってんだよ。生ビール飲んでくか?」
たけしさんは、高校生だった玉袋さんに毎回声を掛けてくれました。
「そこに入っちゃったら図々しいと思われちゃうから、ずっと断っていたんですよ。行くたびに『おう、ビール飲んで行けよ』と必ず言われてましたね」と玉袋さん。
ビートたけしと高田文夫が目の前に
そんなある時、いつものように焼肉屋でたけしさん待ちをしている玉袋さんたちに、ラッシャー板前さんが話しかけてきたのです。
「ラッシャー板前さんがね、あの旅サラダが。旅サラダが付き人だった頃に外で待ってる僕らのところに来て、『殿がどうしても。ウチの師匠が入ってくださいって言ってますから来てください。僕が怒られちゃいますんで』」
こう言われて、玉袋さんは初めてそのお店に入りました。
「お座敷の席が用意されていて、我々。目の前にビートたけしと高田文夫がいるわけですよ。そこで『あんちゃんら、飯食ってけ』と」
こうして玉袋さんは、たけしさんから顔を覚えてもらえるようになったのです。
「ラッシャー板前さんがね、あの旅サラダが。旅サラダが付き人だった頃に外で待ってる僕らのところに来て、『殿がどうしても。ウチの師匠が入ってくださいって言ってますから来てください。僕が怒られちゃいますんで』」
こう言われて、玉袋さんは初めてそのお店に入りました。
「お座敷の席が用意されていて、我々。目の前にビートたけしと高田文夫がいるわけですよ。そこで『あんちゃんら、飯食ってけ』と」
こうして玉袋さんは、たけしさんから顔を覚えてもらえるようになったのです。
「3か月で辞めて俺のところに来ねぇか」
玉袋さんがたけしさんに弟子入りをしたのは、高校3年生の時。
当時玉袋さんは、「本当は弟子になりたいけど、言えない」という悶々とした気持ちを抱えたまま、すでに夏休みには就職が内定していました。
「俺もずっとカタギで生きていくんだ」と半ばあきらめていた頃、たけしさんが「お前、高校卒業したらどうするんだ?」と話を振ってくれたのです。
「就職して、働きます」と伝えた玉袋さんに、たけしさんが一言。
「そこはよ、3か月で辞めて俺のところに来ねぇか」
たけし軍団といえば、弟子入りを志願して、たけしさんに何度も土下座をして、ようやく入れてもらえるものというイメージでしたが、玉袋さんはたけしさんからのいわばスカウトで軍団入りが決定したのです。
当時玉袋さんは、「本当は弟子になりたいけど、言えない」という悶々とした気持ちを抱えたまま、すでに夏休みには就職が内定していました。
「俺もずっとカタギで生きていくんだ」と半ばあきらめていた頃、たけしさんが「お前、高校卒業したらどうするんだ?」と話を振ってくれたのです。
「就職して、働きます」と伝えた玉袋さんに、たけしさんが一言。
「そこはよ、3か月で辞めて俺のところに来ねぇか」
たけし軍団といえば、弟子入りを志願して、たけしさんに何度も土下座をして、ようやく入れてもらえるものというイメージでしたが、玉袋さんはたけしさんからのいわばスカウトで軍団入りが決定したのです。
ドラフト1位、契約金20万円
さらに、「高校卒業して実家から通うわけにいかないんだから。これで部屋を借りろ」と、たけしさんは玉袋さんにポンと20万円を渡してくれました。
「愛人かっていうくらい。ドラフト1位ですよ、契約金20万円。高校生ですからね」
弟子入りが決まった日、「全てが曇ってた視界がブワーッと晴れ渡って、日本晴れ!」と、晴れやかな気持ちだったと振り返る玉袋さん。
しかし、内定をもらっていた企業を蹴ることで、来年から求人が来なくなってしまうと学校側から叱られた玉袋さんは、母親とカステラを持って人事にお詫びに行ったそうです。
ここでビートたけしさんの名曲「浅草キッド」がしんみりと流れました。
(minto)
「愛人かっていうくらい。ドラフト1位ですよ、契約金20万円。高校生ですからね」
弟子入りが決まった日、「全てが曇ってた視界がブワーッと晴れ渡って、日本晴れ!」と、晴れやかな気持ちだったと振り返る玉袋さん。
しかし、内定をもらっていた企業を蹴ることで、来年から求人が来なくなってしまうと学校側から叱られた玉袋さんは、母親とカステラを持って人事にお詫びに行ったそうです。
ここでビートたけしさんの名曲「浅草キッド」がしんみりと流れました。
(minto)
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