9月24日放送の『北野誠のズバリ』、松原タニシの情報コーナーでは広島県の「うさぎ島」を取り上げました。
かつて毒ガス工場があった、広島県竹原市の大久野島。
現在はうさぎ島(ラビットアイランド)と呼ばれ、世界中から観光客が訪れる場所となっています。
松原が、うさぎ島の現在の姿とその秘められた過去を取材してきました。
「捨てないで」と「連れ去り禁止」
JR忠海(ただのうみ)駅より徒歩5分の忠海港から、フェリーに乗って約15分。
うさぎ島には午前中から長蛇の列ができ、大変な賑わいです。
「うさぎ島」という名前の通り、この島には勝手に繁殖した約1,000匹もの野生のうさぎが住みついています。
餌をもらうため、観光客が集まるところに湧いて出てくるうさぎたち。
船着き場には「ようこそ!うさぎ島へ」の看板の他に、「うさぎを捨てないで」「うさぎの連れ去り禁止」という両極端な看板が。
どうやら、どちらの迷惑行為もあるようです。
松原は、うさぎに餌をあげている観光客の姿をあちこちで目撃しました。
かつて地図から消された島
さて、今回松原がこの島を訪れた目的はうさぎではなく、島内にある毒ガス工場の跡地を見学するためでした。
太平洋戦争以前の昭和4年から終戦まで、このうさぎ島には「毒ガスの製造工場」があったのです。
「大久野島毒ガス資料館」で毒ガスについて学ぶと、この島は「地図から消された島」だったことがわかりました。
昭和13年~終戦まで、この島で毒ガス兵器を作っていることがバレないように、日本地図にはこの大久野島を載せていませんでした。
昭和59年頃まで、なんと日本人すらその存在を知らなかったといいます。
資料館を見学した松原が衝撃を受けたのは、工場が建設された際の「祝・工場できました!」というお祝いの写真。
島民はまさか毒ガスを作っているとは知らず、「島に工場ができて裕福になれる!」と喜びに沸いていました。
「化学兵器工場」と聞いてはいたものの、まさか「毒ガス」とは誰も思っていなかったのです。
実験用のうさぎが繁殖?
防護服の展示を見た松原は、再度衝撃を受けます。
無菌室に入るような完全防備の防護服ではなく、その姿は松原いわく「雨合羽にゴム手袋を付けてる、みたいな。隙間めっちゃあるんですよ。これヤバいなっていう」。
今は観光客で溢れる平和なうさぎ島にこのような悲しい歴史があったということを、この資料館では包み隠さず展示しています。
この毒ガス工場の化学兵器実験で使われていたのが、うさぎでした。
「実験用のうさぎが繁殖したのではないか?」というウワサもありましたが、そのうさぎはすべて殺処分されています。
今この島に住んでいるうさぎは、昭和46年に近くの小学生が放った8羽のうさぎが繁殖したものです。
まさに「異世界」
毒ガス工場や発電所の跡地は、廃墟マニアにからの人気も高い場所です。
「マニアが喜ぶような朽ち具合」と、その異様な雰囲気を語る松原。
「廃墟の中をうさぎがぴょんぴょん跳ねてる。こんなファンタジーの世界ないですよね」
そこは、まさに「異世界」。
「うさぎかわいい。戦争について勉強できる。島中を冒険できるというね。いろいろな要素がある島」と松原。
うさぎ効果で日本内外から年間36万人もの観光客が訪れるという、うさぎ島。
かわいいうさぎを見て、戦争の歴史を学び、廃墟を見学して大満足の松原でした。
(minto)
北野誠のズバリ
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2019年09月24日15時20分~抜粋