北野誠のズバリ

白装束にわら人形…今も日本で続く「呪いの儀式」

8月11日放送『北野誠のズバリサタデー』では、お盆特別企画として「呪いの文化研究スペシャル」と題し、日本が生んだ呪いの文化や言霊信仰を取りあげました。

『呪いと日本人』(角川ソフィア文庫)の著者でもあり、民間信仰研究の第一人者、国際日本文化研究センター所長の小松和彦先生に、北野誠とITジャーナリストの井上トシユキがお話を伺いました。

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丑の刻参りの「丑」とは?

日本での呪いの儀式のスタイルと言えば、「頭にろうそくを付けて白装束の格好をし、わら人形に五寸釘を打つ」のがお約束で、俗に丑の刻参りと言いますが、まずはその由来について小松先生に伺いました。

「丑の刻」という名前の通り、江戸時代に時刻を干支で表現するようになった頃に方法が確立したものですが、元々は鬼門の方角(丑寅=北東)から来ていて、その時間(午前1~3時頃)に鬼が出てくると伝えられています。

京都にある貴船神社で最初に儀式が行われていたと言われており、すでに平安時代に貴族たちが「呪いをかけるなら神社に行った方が良い」と言っていたそうで、かなり歴史は古いですね。

洛中から見ると貴船神社はかなり遠く、同じく遠い場所にある鞍馬では天狗が出るとも言われていました。

呪いのスタイルは江戸時代に確立

スタイルは平安時代はお参りをして人形を打つぐらいだったのですが、江戸時代になる前にすでにおなじみのスタイルがあったとのことです。

元々は貴船の神様が鬼になる作法を教え、それに従って髪の毛を鬼の形にしたり、顔を真っ赤に塗ったり、さらにろうそくは鬼の角の代わりだったわけです。

昔はろうそくではなくたいまつだったそうで、さらに難易度は上がりますね。

小松先生は、「ある意味、そんな大変なことまでしないといけないということで、呪いの儀式をさせないためにハードルを高くさせていたのではないか」と推測しました。

一方、ネガティブではない方のお参り、お百度参りとも意外と似ていて、何日も儀式を行い、その間は人に見られないことが条件とされていましたが、さすがに誰かにはバレてしまいそう……。

小松先生は、「(丑の刻参りの目的の)半分は、家人や周りの人に分かることが、相手に対するプレッシャーにつながるのではないか。また、他の人も(バレたら成就しないことを知っていて)そっとしておいてあげてたのではないか」と推測しました。

儀式に効果はあるのか?

これまで丑の刻参りの歴史について取りあげられましたが、何もこの儀式は大昔の話だけではありません。

小松先生は20年ほど前、岐阜県海津市にある千代保稲荷神社(通称:おちょぼ稲荷)に行き、わら人形が打ち込まれていたご神木を目撃しています。

その木は足止めの木と呼ばれ、相手の所に行かないようにという浮気封じの目的で打たれていたそうですが、北野も何十年か前に、貴船神社にロケで行った時に釘を打たれている写真を見ており、かなりの思いが込められています。

ここで北野は、「実際に成就するんですかね」と疑問を投げかけました。

小松先生は、「その人にとって見れば、それが1年後であれ、何年後でもあれ、相手に事故などの不幸が起きたら、呪いのせいだと思いたい。それで恨みの心が晴れたら、それはそれで良いのではないか」と語りました。

ただ、北野は「呪い返しはあるというのは、呪おうとする人を諌める言葉ではないか」と推測し、それを受けて小松先生は、「"人を呪わば穴二つ"というのは、相手の死もあるが自分の死もある、穴は埋葬する場所のことを指す」と解説しました。

現在も儀式は行われているのか?

では、この儀式は今現在でも行われているのでしょうか。

この番組でもおなじみの事故物件住みます芸人・松原タニシは、名古屋市の某山でネット動画を撮っていた際、実際に儀式を行おうとした人に出くわしたそうです。

小松先生は、「今でもやりたい人はやってるんじゃないかな。通信販売でもキットが売られてるとか。半分冗談かもしれませんけど。ただ、それで済んでりゃ良いと思うんですよ。ストーカーとかになるよりは」とまとめました。

さらに北野が、「どこの神社でもやるのは止めて頂いた方が……。警察にも通報されますし」とリスナーに諌めていました。
(岡本)
北野誠のズバリ
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2018年08月11日09時19分~抜粋

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