声優・歌手の日髙のり子が80年代に司会を務めていた番組に出演したリスナーから投稿が。
同番組の熱心な視聴者だった神谷明とマレーシアで行われたフルマラソンの思い出について振り返りました。
5月22日放送の『神谷明・日髙のり子 TALK!×3』から。
日髙のり子、若き日のマラソン番組出演の思い出
のり子姉さんに会いたい
かつて『おはよう!サンデー』(1980-87年、日本テレビ系列)の同コーナーに出演し、コント赤信号さんと司会を務めていた日髙。
「ちびっこマラソン」のコーナーでは、小学生から挑戦状を受けて競走をしたこともあるとか。
今回小学6年生の頃、このコーナーに出演したというリスナーから投稿が寄せられました。
「のり子姉さんに会いたいと母に話していたら、応募してくれました。ちょうど番組が終わる頃でお姉さんも違う人でした。『のり子姉さんに会えない…』ってわかった時はずいぶん落ち込みました。
マラソンは苦手なので順位は3桁台でしたが、弟と一緒に2回ともテレビで放送されました。マラソンに出たことと、コント赤信号さんにインタビューされたことは嬉しい思い出です」(Aさん)
「ちびっこマラソン」のコーナーでは、小学生から挑戦状を受けて競走をしたこともあるとか。
今回小学6年生の頃、このコーナーに出演したというリスナーから投稿が寄せられました。
「のり子姉さんに会いたいと母に話していたら、応募してくれました。ちょうど番組が終わる頃でお姉さんも違う人でした。『のり子姉さんに会えない…』ってわかった時はずいぶん落ち込みました。
マラソンは苦手なので順位は3桁台でしたが、弟と一緒に2回ともテレビで放送されました。マラソンに出たことと、コント赤信号さんにインタビューされたことは嬉しい思い出です」(Aさん)
マレーシアでのフルマラソン
神谷「初めてあの番組に出た、という大人の方に出会いました」
日髙「何が良かったんだろう!?私」
コント赤信号が後輩にあたるという神谷も、『おはよう!サンデー』の雰囲気が好きで熱心に視聴していたとか。
特にマレーシアで行われたフルマラソン企画が特に印象に残っているそうです。
神谷「ゆっくりマイペースで走っていた方が完走できたっていうね」
公道を走っているとまばらになって前後に人影が見えなくなり、「ジャパニーズベイビー!」と突然声をかけられたことを思い出す日髙。
途中までは速かったものの、33km地点で渋々ピックアップされる結末に。
「完走した人にしかこの気持ちはわからない」と完走者に言われ、ふくれっ面をしていたと明かします。
日髙「(でもマラソンは)ゴールした瞬間はすごく気持ち良くて、身体も活性化されるっていうか」
神谷「何千人と番組の卒業生はいらっしゃると思うので(参加された方は)またぜひおたよりを」
(nachtm)
セットリスト:
M1 ヒデ夕木、杉並児童合唱団「GO! GO! トリトン」
M2 飯塚雅弓「聴かせてよ君の声」
日髙「何が良かったんだろう!?私」
コント赤信号が後輩にあたるという神谷も、『おはよう!サンデー』の雰囲気が好きで熱心に視聴していたとか。
特にマレーシアで行われたフルマラソン企画が特に印象に残っているそうです。
神谷「ゆっくりマイペースで走っていた方が完走できたっていうね」
公道を走っているとまばらになって前後に人影が見えなくなり、「ジャパニーズベイビー!」と突然声をかけられたことを思い出す日髙。
途中までは速かったものの、33km地点で渋々ピックアップされる結末に。
「完走した人にしかこの気持ちはわからない」と完走者に言われ、ふくれっ面をしていたと明かします。
日髙「(でもマラソンは)ゴールした瞬間はすごく気持ち良くて、身体も活性化されるっていうか」
神谷「何千人と番組の卒業生はいらっしゃると思うので(参加された方は)またぜひおたよりを」
(nachtm)
セットリスト:
M1 ヒデ夕木、杉並児童合唱団「GO! GO! トリトン」
M2 飯塚雅弓「聴かせてよ君の声」
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