落語家の笑福亭鶴光さんが、12月19日放送の『神谷明・日髙のり子 TALK!×3』に出演しました。
鶴光さんはその昔オールナイトニッポン(ニッポン放送)で日髙のり子と共演。当時番組アシスタントを務めていた日髙と深夜放送の忘れがたい思い出について語ります。
日髙のり子、笑福亭鶴光と深夜放送の思い出を振り返る
お面をとって現れたのは…
『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送、1974年-1985年)で日髙と共演していた笑福亭鶴光さんが今回のゲスト。
アイドル時代の日髙のり子との数々の伝説を楽しげに語ります。
神谷「のんちゃんの伝説はないんですか?」
「わりと普通の子だった」と振り返る鶴光さん。
深夜放送なので、真夜中に電気が消えて怖い音楽が流れ、驚かされたことがあったと日髙。
真っ暗な中でゴリラのお面をとったら、現れたのは当時すでに大スターだった真田広之さん。
神谷「それやられたんだ!」
日髙「こんなもので驚かないんだからね!とバッと取ったら、真田さんの顔見て腰抜かしちゃって」
アシスタントを務めていた日髙を驚かそうと、真面目な真田さんはトイレの鏡を見ながら一生懸命練習していたそうです。
当時19歳の日髙は20代の真田さんの大ファンだったそうで、写真集にサインをしてもらったとか。
日髙「オールナイトニッポンの一番の思い出です!」
神谷「ないですよ、なかなかね」
そのときに日高が上げた「キャー」の声は恐怖の悲鳴ではなく、感激の悲鳴だったとか。
鶴光「女性っていろんな表情をするんやなって」
仕掛ける方としても大成功、と神谷。
「初恋の先輩に会えたような気分だった」と日髙は懐かしそうに振り返ります。
午前3時を過ぎると頭がおかしくなってきて、何をやっても許されると思っていたと振り返る鶴光さん。
アイドル時代の日髙のり子との数々の伝説を楽しげに語ります。
神谷「のんちゃんの伝説はないんですか?」
「わりと普通の子だった」と振り返る鶴光さん。
深夜放送なので、真夜中に電気が消えて怖い音楽が流れ、驚かされたことがあったと日髙。
真っ暗な中でゴリラのお面をとったら、現れたのは当時すでに大スターだった真田広之さん。
神谷「それやられたんだ!」
日髙「こんなもので驚かないんだからね!とバッと取ったら、真田さんの顔見て腰抜かしちゃって」
アシスタントを務めていた日髙を驚かそうと、真面目な真田さんはトイレの鏡を見ながら一生懸命練習していたそうです。
当時19歳の日髙は20代の真田さんの大ファンだったそうで、写真集にサインをしてもらったとか。
日髙「オールナイトニッポンの一番の思い出です!」
神谷「ないですよ、なかなかね」
そのときに日高が上げた「キャー」の声は恐怖の悲鳴ではなく、感激の悲鳴だったとか。
鶴光「女性っていろんな表情をするんやなって」
仕掛ける方としても大成功、と神谷。
「初恋の先輩に会えたような気分だった」と日髙は懐かしそうに振り返ります。
午前3時を過ぎると頭がおかしくなってきて、何をやっても許されると思っていたと振り返る鶴光さん。
落語界と声優業界の意外な縁
日髙は当時アイドル歌手で、アニメ『タッチ』(フジテレビ系)の浅倉南役を務めていた頃。
40年前の出来事をまるで昨日のことのように覚えている鶴光さん、出だしから話が止まりません。
神谷「あっという間に空気がオールナイトニッポンになっております」
日髙「ラジオの師匠は鶴光さんだと思っています」
三遊亭円楽さんの息子は噺家をやりながら、声優をやっているそう。
女性講釈師になった声優の方もいるそうで、意外に声優業界とつながりがあるのだとか。
鶴光さんが落語を始めたきっかけを尋ねる神谷。
若い頃に落語選手権で名人賞をとったものの、なかなかプロとしては通用しなかったと振り返ります。
師匠の芸を傍から見ているうち、落語はお客さんを笑わすものでなく、話を聞かすものだと学んだそうです。
40年前の出来事をまるで昨日のことのように覚えている鶴光さん、出だしから話が止まりません。
神谷「あっという間に空気がオールナイトニッポンになっております」
日髙「ラジオの師匠は鶴光さんだと思っています」
三遊亭円楽さんの息子は噺家をやりながら、声優をやっているそう。
女性講釈師になった声優の方もいるそうで、意外に声優業界とつながりがあるのだとか。
鶴光さんが落語を始めたきっかけを尋ねる神谷。
若い頃に落語選手権で名人賞をとったものの、なかなかプロとしては通用しなかったと振り返ります。
師匠の芸を傍から見ているうち、落語はお客さんを笑わすものでなく、話を聞かすものだと学んだそうです。
代理期間に一念発起
当時オールナイトニッポンを聴いていた神谷が、ラジオを始めたきっかけについても尋ねます。
ラジオはもともと噺家の仕事だったと鶴光さん。
小話ができて間をつなげられるため、重宝されたそうです。
以前は”しゃべり”自体が貴重なスキルだったそうで、スーパーマーケットのレポーターなど引き合いも多く、噺家さんにとっては良い時代だったと回顧します。
ひょんなことから、ある方の代理としてついたものの、初回の放送はさっぱりハガキが来なかったそう。
3ヶ月の期間限定だったため、無茶苦茶やってやろうと一念発起した鶴光さん。
その後、人気が急上昇したというからわからないものです。
甲斐あって3ヶ月のはずがなんと、11年以上も続く長寿番組になったのだとか。
鶴光「居直るという気持ちが必要なんですね」
神谷「居直りたいと思ってもなかなか」
シモネタを積極的に取り入れたところ、奏功したそうです。
鶴光「セックスアピールが必要だと言われまして」
日髙「アドバイスを間違えちゃったかもしれませんが」
若い女の子を入れようと思い、加入してきたのが日髙だったそうです。
よどみない口調の鶴光さんと懐かしい話に花の咲いた放送でした。
(nachtm)
ラジオはもともと噺家の仕事だったと鶴光さん。
小話ができて間をつなげられるため、重宝されたそうです。
以前は”しゃべり”自体が貴重なスキルだったそうで、スーパーマーケットのレポーターなど引き合いも多く、噺家さんにとっては良い時代だったと回顧します。
ひょんなことから、ある方の代理としてついたものの、初回の放送はさっぱりハガキが来なかったそう。
3ヶ月の期間限定だったため、無茶苦茶やってやろうと一念発起した鶴光さん。
その後、人気が急上昇したというからわからないものです。
甲斐あって3ヶ月のはずがなんと、11年以上も続く長寿番組になったのだとか。
鶴光「居直るという気持ちが必要なんですね」
神谷「居直りたいと思ってもなかなか」
シモネタを積極的に取り入れたところ、奏功したそうです。
鶴光「セックスアピールが必要だと言われまして」
日髙「アドバイスを間違えちゃったかもしれませんが」
若い女の子を入れようと思い、加入してきたのが日髙だったそうです。
よどみない口調の鶴光さんと懐かしい話に花の咲いた放送でした。
(nachtm)
関連記事