『神谷明・日髙のり子 TALK!×3』は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、しばらく日髙のり子と神谷明が週交代で放送することになりました。
5月9日の放送では、明るさが取り柄で「話すことが根っから好き」と自ら語る日髙のり子が担当。
20代の頃、ラジオ番組の楽しさに目覚めたと語りました。
日髙のり子が語る、ラジオに魅かれる理由
ラジオにハマった理由
この4月から番組レギュラーとして加わった日髙に対するリアクションです。
「とても楽しかったです。そして非常に明るかったです!この暗いご時世を吹き飛ばすくらいの明るさはさすがだな、と思いました」(Aさん)
明るいだけが私の取り柄で、ラジオで喋るのがものすごく好き、と話す日髙。
20代後半の頃に担当した深夜放送がラジオとの初めての出合い。
そこで楽しさに目覚めたことを鮮明に思い出します。
日髙「解き放たれたんですね、わたしが」
母親は番組を目ざとくチェックするタイプだったそう。
日髙がラジオで失敗をするたび、表を出歩くのが恥ずかしくなるほど周りの目を気にされる方だったそうです。
そのため、とても長い留守番電話が毎度入っていたとか。
物知らずなことや、背筋や相槌などの礼儀作法、注意点について細かくダメ出しされていたと日髙。
そんな母親の存在もあり、当時は本当の自分を閉じ込めていたと振り返ります。
がんばって良い子を演じていた自分が解放され、はっちゃけると楽しくて楽しくて仕方がなかったと回顧します。
「とても楽しかったです。そして非常に明るかったです!この暗いご時世を吹き飛ばすくらいの明るさはさすがだな、と思いました」(Aさん)
明るいだけが私の取り柄で、ラジオで喋るのがものすごく好き、と話す日髙。
20代後半の頃に担当した深夜放送がラジオとの初めての出合い。
そこで楽しさに目覚めたことを鮮明に思い出します。
日髙「解き放たれたんですね、わたしが」
母親は番組を目ざとくチェックするタイプだったそう。
日髙がラジオで失敗をするたび、表を出歩くのが恥ずかしくなるほど周りの目を気にされる方だったそうです。
そのため、とても長い留守番電話が毎度入っていたとか。
物知らずなことや、背筋や相槌などの礼儀作法、注意点について細かくダメ出しされていたと日髙。
そんな母親の存在もあり、当時は本当の自分を閉じ込めていたと振り返ります。
がんばって良い子を演じていた自分が解放され、はっちゃけると楽しくて楽しくて仕方がなかったと回顧します。
告げ口もOK?
今週から始まった神谷と交代での”ひとり放送”体制。リスナーのおたよりを紹介する日髙。
「毎日気分が暗くなってしまいますが、『シティハンター』や『名探偵コナン』の劇場版DVDを観たりして過ごしています。神谷さんも日髙さんもコロナに負けずに素敵なお声を届けて下さい」(Aさん)
コロナ対策もさることながら、このひとり喋りを「ちょっとレアかな、という気分で楽しんで頂ければ」とのこと。
日髙「(神谷さんに)『こんなこと言ってましたよ』っていう告げ口もOKです」
「『キン肉マン』や『タッチ』をリアルタイムで観てきた世代にとっては楽しみで仕方ありません。健康には十分注意してください」(Bさん)
スタジオやスーパーで入念なアルコール消毒をするように心がけているという日髙。
平熱が35℃台で低めなため、体温を測るとエラーが出るのが最近の悩みだとか。
「毎日気分が暗くなってしまいますが、『シティハンター』や『名探偵コナン』の劇場版DVDを観たりして過ごしています。神谷さんも日髙さんもコロナに負けずに素敵なお声を届けて下さい」(Aさん)
コロナ対策もさることながら、このひとり喋りを「ちょっとレアかな、という気分で楽しんで頂ければ」とのこと。
日髙「(神谷さんに)『こんなこと言ってましたよ』っていう告げ口もOKです」
「『キン肉マン』や『タッチ』をリアルタイムで観てきた世代にとっては楽しみで仕方ありません。健康には十分注意してください」(Bさん)
スタジオやスーパーで入念なアルコール消毒をするように心がけているという日髙。
平熱が35℃台で低めなため、体温を測るとエラーが出るのが最近の悩みだとか。
元マネージャーの話
20代の頃は地方のレギュラーも多く、在来線に乗るような感覚で新幹線に乗っていたという日髙。
毎日の景色が変わらないため、自然と話すネタがなくなり苦心します。
そこでラジオのスタッフや、マネージャーのことをよく話していたそうです。
当時21才の男性マネージャーがついていて、日髙は”姫”と呼ばれていたとか。
ただ新人のためか、あらぬ態度に説教を繰り返していた日髙。
すると、自分の世界に入り自虐的に語っていたのが印象に残っているそう。
日髙と関わる機会が徐々に少なくなると、彼は次第に人気ミュージシャンのイベントを手掛けるように。
その後、バナナフリッターズの仕事で久しぶりに一緒になった日髙。
再会した彼は立派に成長し、皆に慕われる存在になっていて日髙も驚いたとか。
「こういう風に言ってくれるのは姫だけなんで」とこっそり告げてくれたそうです。
ところがその後、突然の心筋梗塞で亡くなったという悲しい知らせが届きます。
直前までピンピンしていただけに大きなショックを受けたと語る日髙。
日髙「(一緒に行う予定だった仕事も)叶わなくなってしまいました」
日髙にとって名物マネージャーだった彼とかつて手がけた曲『In The Hard Rain』で思い出を噛みしめました。
(nachtm)
セットリスト:
M1 日髙のり子「In The Hard Rain」
M2 バナナフリッターズ「あのね」
毎日の景色が変わらないため、自然と話すネタがなくなり苦心します。
そこでラジオのスタッフや、マネージャーのことをよく話していたそうです。
当時21才の男性マネージャーがついていて、日髙は”姫”と呼ばれていたとか。
ただ新人のためか、あらぬ態度に説教を繰り返していた日髙。
すると、自分の世界に入り自虐的に語っていたのが印象に残っているそう。
日髙と関わる機会が徐々に少なくなると、彼は次第に人気ミュージシャンのイベントを手掛けるように。
その後、バナナフリッターズの仕事で久しぶりに一緒になった日髙。
再会した彼は立派に成長し、皆に慕われる存在になっていて日髙も驚いたとか。
「こういう風に言ってくれるのは姫だけなんで」とこっそり告げてくれたそうです。
ところがその後、突然の心筋梗塞で亡くなったという悲しい知らせが届きます。
直前までピンピンしていただけに大きなショックを受けたと語る日髙。
日髙「(一緒に行う予定だった仕事も)叶わなくなってしまいました」
日髙にとって名物マネージャーだった彼とかつて手がけた曲『In The Hard Rain』で思い出を噛みしめました。
(nachtm)
セットリスト:
M1 日髙のり子「In The Hard Rain」
M2 バナナフリッターズ「あのね」
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