神谷明・日髙のり子 TALK!×3

番組を作っているのは誰だ?赤坂泰彦が語るラジオ論

ラジオを盛り上げるのはやっぱりリスナーからのハガキ。
DJとして人気絶頂期の赤坂泰彦さんはリスナーとの交流がとても濃密だったそう。

「ラジオはリスナーが作り上げるもの」など、第一人者だからこそ語れる、ラジオに関する想いをぶつけました。
1月25日放送の『神谷明 TALK!×3』から。

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リスナーとは濃厚な付き合い

JFN系列で放送されていた『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(1993-1997)で、超人気DJだった赤坂さん。
日に日に聴取率が上がって週間トップも獲り、ハガキは縦に積み上がりました。

赤坂さん「ハガキが札束に見えましたね」

日本地図とリスナーの住所録を作って県ごとにハガキの枚数を集計し、音沙汰ないリスナーには催促することも。そんなこんなでヘビーリスナーとは文通状態に。
「リスナーのありがたさは身に沁みる」と神谷明も共感します。

久しぶりに当時のリスナーに会うと互いに「楽しかったね」となるそう。

赤坂「(僕を)テレビで知った方は”さん”付けだが、ラジオで知った方は呼び捨て」

反面、深刻な内容の時はペンネームだけ読み上げる優しさも見せます。
熱心な投稿者には「読んでいるよ」と伝えてあげることが大事だとか。

人気コーナー「うさんくさいポップス」では元歌の歌い手から直接連絡があったことも。
「コーナーは自然に育っていくもので、自分で力を入れるよりリスナーが作った方が盛り上がる」と神谷。

赤坂「ラジオ文化って、リスナーが『自分でできる』と思い込むんですよ」

赤坂さんが「頼むからルールを守ってくれ!」と呼びかけると、ますます面白がってくれたとか。

鳴かず飛ばずの時期も…

赤坂さんが人気DJとなる前の話題に。
バンド結成から、ロックと芝居のイベントを企画制作していた赤坂さん。
プロデビューを果たすものの、メンバー間で目指すものが違い分裂状態に。
その後、元TBSアナウンサー林美雄さんの誘いで、晴れてラジオレギュラーに。

赤坂「やっとここでスタートに立てたと」

順調にDJ街道を歩み始めたように見えましたが…

赤坂「そう簡単に行かないですよ」

その番組は半年で終了し、鳴かず飛ばずの時期が数年続きます。
この時期を「うまく調子よく渡り歩いていた」と回顧する赤坂さん。
レコード屋に行けばただで情報が手に入り、音が鳴っているところ、明かりがついているところに関係者面して忍び込んでいたそう。

状況が好転したのは、DJの欠員があって名プロデューサーのドン上野(上野修)さんに声をかけられた時。
深夜3時から5時の時間帯で、ハガキは一枚もありませんでしたが、嬉しくて必死に選曲したところ、数日後にレギュラーの話が。

赤坂「そこがターニングポイントです」

軽快なトークの裏にある見えない努力

ドン上野さんは声優ブームにも火をつけた方で、神谷もお世話になったとか。
当時のライターには学生時代の秋元康さんもいたそうです。

赤坂「何かありそうな奴をちゃんとつまんでくるプロデュースがあった」
神谷「ものすごく嗅覚のいい方でした」

苦難の時期を経て人気DJに登り詰め、裏番組を負かす勢いで「自分の波がつかめるかもしれない」としゃかりきに。

ところで、赤坂さんといえば密な情報と軽快なおしゃべりですが、どうやってそのスタイルを築いたのでしょう?

当時、2千枚ほど収容する専用CDロッカーを備えつつ、CDの詰まった箱を廊下に10列くらい並べ、リスナーの曖昧なリクエストに答えるべく、スタジオと廊下を頻繁に往復したそう。
「氷山の一角のように見えない努力がある」と神谷。

「ラジオは独特の文化がありますからね」
「マインド・オブ・シネマだから面白いですよね、ラジオは」

ラジオに関する赤坂さんの名言が連発し、感心と笑いに溢れた今夜のスタジオでした。
(nachtm)

セットリスト:
Flash Cadillac & The Continental Kids With Wolfman Jack「Did You Boogie (With Your Baby) 」
神谷明・日髙のり子 TALK!×3
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2020年01月25日23時08分~抜粋

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