神谷明・日髙のり子 TALK!×3

千葉繁、声優デビュー作『ドカベン』を神谷明と語る

12月7日放送の『神谷明 TALK!×3』(CBCラジオ)に声優の千葉繁さんが出演しました。

パーソナリティの神谷明とも共演経験のある千葉さんは、テレビアニメ『ドカベン』(1976-79年 フジテレビ系列)で声優デビューを果たしますが、そのきっかけはたまたま見ていたテレビだったようです。

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自宅のテレビで声優の存在を知り…

1970年代のこと。たまたまオフの日に自宅でテレビを見ていたという千葉さん。
8歳くらいの金髪の男の子が流暢な日本語をしゃべっていて、ずいぶん日本語がうまいなと感心。
よーく見たら口の動きと声が違うなと気づき、「声はどういう人がやっているんだ?」とマネージャーに尋ねます。

当時は声優の認知度がまだ低かった頃でした。
俳優がやっていると知った千葉さんは、早速『ドカベン』のオーディションに向かいます。
『ドカベン』は、神谷明が里中智役でレギュラー出演していた野球アニメです。

スタジオに入って、全然わからない状態で一言しゃべったら「お疲れ様でした」と冷めた声。
期待と落胆が半々で帰宅したところ、夕方に合格の知らせが。
当時は台本を事前にもらえず、当日に目を通し、試写を見た段階で本番に入ったそうです。

神谷「今日はこういう話か、と」

また、通常5-6役、多いときで10役をこなしたそうで苦労がしのばれます。
これは、俳優がどれだけ表現力や声の幅を持っているか、年齢を変えられるかなどを観察されていたのだそう。
本番ながらオーディションの意味合いも含まれていた、と解説する神谷。

愛情ある育成環境の時代

『ドカベン』を始めてから2.0だった視力が0.8まで低下したという千葉さん。
手元の明かりだけで現場は暗く、目に負担がかかったのだとか。

神谷「目にとっては過酷だった」
千葉さん「(目が左右に動かせる)カメレオンっていいなぁと」

また、当時の厳しい先輩たちは下手に教えず、あえて言わない、人に聞いたら負け、という雰囲気で良かったと語るお二人。

千葉さん「環境は良かったですね」
神谷「いい意味で(人を)育てようという機運がありましたね」

先輩方の演技を見て、こうやるのか、とだんだんコツをつかんでいったのだそう。

千葉さん「背中を見るということは大事」
神谷「今は現場に行けないんだよね」

今の声優はチャンスさえなかなか与えられないため、環境が良くないと声を揃えます。
さらに、昔は”ピラミッド”型のヒエラルキーだったのが、今は”背の低い台形”だと神谷は表現。
いわゆる”飲みニケーション”が盛んだった頃で、食わせたい飲ませたいという一心や、具体的なことを親身に教えたいという愛情が大きかったとか。

神谷「あの頃の先輩は異常に可愛がってくれた」

そして最近の若者にはあまり見向きされない、と寂しそうな声も。

偉大な先達の教え

ふたりの話題は、『ドカベン』で録音監督を務めていた斯波重治さんに移ります。

斯波さんから「いろいろ緊張することもあるかもしれないけど、一番声の出せる役者になりなさい。マイクも壊す勢いでやってごらん」と声をかけられたという千葉さん。
「誠心誠意、壊させてもらいます」と答え、実際に5本くらい壊したという武勇伝も。

斯波さんはジブリの初期作品にも携わってきた重鎮の音響演出家。
神谷は、かつて斯波さんに現役復帰をお願いしたところ断られてしまったとか。

斯波さんからはこんな話をされたそうです。

「(昔は)芝居バカが集まっていて、演技に対するいっぱしのプロ意識を持った人たちが丁々発止でやるドラマは面白かった」
「ピース1個1個が濃密でないと絵は描けない、そういう現場ではどんどんなくなってきた」
「本当はOKを出したくないけど、これ以上良くならない」

時代の変化が復帰を拒んだ理由だったようです。

いい作品を作り上げようとする演出家は少なくなっているそう。
「上から伝承を受けることができた」という神谷の言葉が古き良き時代を物語っていました。
(nachtm)

セットリスト:
原田芳雄 「新宿心中」
神谷明・日髙のり子 TALK!×3
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2019年12月07日23時01分~抜粋

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