小さい頃からおてんばな女優さん?
今週は生い立ちの話から。
小さい頃から一人でお芝居ごっこをしていたという岡江さん。
新婚当初ですら、自分のことを可哀想なシンデレラに見立てていたとか。
東京都世田谷区の田んぼだらけのところで育ち、田舎遊びがメインだったようです。
記憶は鮮明ではないとはいえ、いい思い出ばかりだそう。
勉強はわりと普通だったようですが、親が教育熱心でいろいろな習い事をやっていたとか。
また、親が不在がちで悪知恵がはたらいたという意外な面もありました。
運動が得意で、特に障害物競走が好きだったそうで…
岡江「今でも運動会がやりたいですよ」
神谷「怪我をしない程度にね。ゴルフより運動会のほうが楽しいかも?」
遠足は歩いて最後に「こどもの国」に集合するというロングコース。
昔は車も少なかったから安全だったと回顧する二人。
今でも食べることを目的に2万歩歩くほどの健脚です。
デビューのきっかけは懸賞!
中学で最初に入った軟式テニスは合わず、演劇クラブに運命の入部を果たします。
先輩は怖かったそうですが、発声練習を中心によく取り組み、『アルプスの少女ハイジ』のクララ役を務めたことがあるようです。
芝居好きで目立ちたがり屋だった高校生の岡江さんにある日転機が訪れます。
新聞に名前が載るのが好きな懸賞マニアだった岡江さん。
海外に行けるという下心から、テレビドラマ『水滸伝』(1973年・日本テレビ系)のヒロイン役に応募したのです。
結果的には落選したのですが、そこの事務所の方に「芝居の勉強してみないか?」と言われたのがきっかけで、1975年(昭和50年)にテレビドラマ『お美津』(TBSテレビ)で晴れてデビューを果たしました。
何がどうつながるか、わからないものですね。
東京の下町が舞台で方言こそなかったものの、着慣れない着物には手こずったそうです。
岡江さんのセリフの覚え方は?
当時、最年少18歳のヒロインでベテラン勢には可愛がってもらったという岡江さん。
演技下手には目をつぶってくれたものの、遅刻しないこととセリフを覚えることの2点を肝に命じられたようです。
尋常ではない量のセリフの覚え方を問われた岡江さんは、「若さと必死さで何とかした」としみじみと振り返ります。
これには神谷も頷くばかり。
現場に行って「みんな(セリフを)覚えてきていないんだ…」と意外に思ったこともあるそう。
セリフの覚え方に話題は移ります。
アシスタントの恵須川愛が「写真は撮らないが全体的な流れを覚える」と言えば、岡江さんは「連想で覚える。お風呂など誰もいないところでブツブツ覚える」とのこと。
神谷が言うように「覚え方は人それぞれ」です。
無名塾を主宰する大物俳優の仲代達矢さんは、壁中にセリフを貼り、生活の中で覚えていたというこぼれ話も。やはり並々ならぬ努力が窺えます。
とくに印象に残る出演作品は?
今でも印象に残っている作品は、江戸川乱歩原作のテレビドラマ『黒真珠の美女』(1985年・テレビ朝日)。
当時の大スター・天知茂演じるニヒルな明智小五郎役に抱っこされて何十メートルも歩くシーンをよく覚えているそうです。そのために減量までしたとか。
岡江「カッコ良かったんですよ~」
天知さんの素顔は役柄と違い、気さくだったそうです。
また、中国旅行で羽田空港に行くところを間違えて成田空港に行ってしまった、という滅多にない失敗談も披露した岡江さん。
羽田から成田なら間に合うようですが、その逆は普通間に合わないそうで、急遽、飛行機の便を変えてもらって事なきを得たとのこと。
ちなみに成田まで車で来ていたので、帰りは成田まで取りに行ったという微笑ましいお話でした。
(nachtm)
セットリスト:
101ストリングス・オーケストラ 「オリバーのマーチ」