作者ゆでたまごが語る。『キン肉マン』は小3の時に生まれていた!

神谷明 TALK!×3 / エンタメ

6月15日放送の『神谷明 TALK×3』に、漫画家「ゆでたまご」の1人、嶋田隆司さんがゲスト出演しました。

原作者・ゆでたまご、主演声優・神谷明と言えば、あの大人気アニメ『キン肉マン』。
まさしく"夢の超人タッグ"とでも言うべき豪華な組み合わせに、楽しく話が盛り上がる2人なのでした。

小学生デビュー

嶋田さんが漫画家になったルーツを伺います。

神谷「小さい頃から、漫画は描かれてらっしゃったんですか?」

嶋田さん「本格的にはまだですけど、小学校3年生ぐらいの時から漫画を描いてましたね」

小3の頃と言えば、教科書の隅などに描くパラパラマンガ的なレベルが想像されますが、嶋田さんの場合は、大学ノートにコマ割りして描いていたのだそうです。漫画として充分読める形です。

神谷「どういうものを描いてらっしゃったんですか?」
嶋田さん「それが『キン肉マン』なんです」
神谷「えっ!最初からキン肉マン!?」

なんと、小3の時すでにキン肉マンという存在はあったのです。
今年は1979年から数えて「キン肉マン連載40周年記念」の年。嶋田さんが高校卒業して18歳の時です。
それより遥か9年前から原形があったとは驚きですね。

神谷「もちろんその漫画は、仲間に見せたり?」

嶋田さん「そうですね。クラスのみんなで回覧して。そしたらいつの間にか、違うクラスの人もみんな読んでて。嬉しかったですね」

早々と大人気作家の片鱗を見せていたのでした。

 

相棒との運命の出逢い

そうやって、少しずつ作品が描き貯められていったといいます。

嶋田さん「で、違うクラスでたまたま読んでいたのが、相棒の中井くんだったんですよ」

そうです。漫画家・ゆでたまごは、嶋田さんと中井義則さんとの合同ペンネーム。嶋田さんが原作(ストーリー)担当、中井さんが作画担当です。
ここで2人は出逢ったのでした。小学校5年だった時です。

嶋田さん「『キン肉マンって面白いなあ』って。彼、漫画というものを読んだことがなくて。キン肉マンが“漫画デビュー”なんですよ」

神谷「最初は読者だった中井さんと、どういう形で一緒に作り始めたんですか?」

嶋田さん「中井くんは小4の(3学期の)時に、ウチの学校に転校してきて。ある時中井くんの通学路を付けていったら、どうやら家も同じ団地だということがわかって。そこから仲良くなって。

中井くんはものすごく絵が上手かったんですよ。漫画は描いたことがなかったんですけど。
で、『俺も描きたい』ってことで、“嶋田マガジン”的なものと、“中井マガジン”的なものを作って、競争して描いてましたね」

それが2人で協力して描くようになったのは、藤子不二雄作『まんが道』の影響が大きかったと嶋田さんは語ります。

藤本弘(のちの藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(のちの藤子不二雄A)による合同ペンネーム「藤子不二雄」。その自伝的漫画『まんが道』は、1970年に連載開始されました。

キン肉マンをきっかけに漫画を好きになった中井さんは、『まんが道』にも“どハマリ”したんだそう。
そして2人は部屋で机を並べて、一緒に漫画を描くことに憧れていったんだとか。

嶋田さんのキン肉マンがきっかけで、今では中井さんがキン肉マンの絵を描いているとは、運命的としか言えませんね。
 

決め手は関西のノリ

やがて中学生になり、漫画家になる夢が膨らんできた2人。各雑誌に「新人漫画賞」というものがあり、そこに応募して漫画家になるものだということを知ります。
それまでは、東京の編集部まで出向き直接原稿を見せる、いわゆる「持ち込み」しかないと思っていたのです。当時大阪に住んでいた2人にはハードルが高い方法ですね。

そして、いろんな雑誌社に原稿を送るようになったものの、所詮中学生が描いたものですから、なかなか芽が出なかったという嶋田さん。
そこで「もうこうなったら、日本一の漫画雑誌である『少年ジャンプ』で描こう」と決め、ジャンプ1本に方向転換したのでした。

神谷「最初は、どんな作品で応募されてたんですか?」
嶋田さん「最初は『ゴングですよ』というギャグ漫画でしたね」
神谷「『キン肉マン』も最初は完全にギャグ漫画ですよね。何か、吉本新喜劇を見ているような(笑)」

この関西のノリが、功を奏します。

嶋田さん「『ゴングですよ』は自信作だったんですけど(選考に漏れて)。でも東京から電話がかかってきて。それが初代担当編集者の中野和雄さんだったんですよ」

神谷が感じたように中野さんも「大阪の笑いが見え隠れしてすごく面白い」と、その才能を評価したのです。
嶋田さん、中井さんはその時、16歳でした。
 

入選、100万、いただきやん

嶋田さん「僕の家も中井くんの家も裕福じゃなかったんで、大学には行けないと。高校3年生までにデビューする、というのが目標になったんです」

デビューできなければ、普通の仕事に就くことになります。背水の陣です。
そしていよいよ高3の2学期となり、「とにかくこれが最後の作品や。何を描こうか?」と考え悩む2人。
ついに…。

「あっ、アレがあるやん!キン肉マン!」
「ああ、それやそれや!2人を結びつけてくれた漫画や!」

そうして描き上げたのが『キン肉マン』。嶋田さんも中井さんも自信満々。
当時の「赤塚賞」の入選賞金は50万円だったのが、この回から倍増したこともあって、「100万イタダキやな!」と浮かれていたそうです。軽いですね。いい意味で。

選考後、すぐに中野さんから電話が。「おめでとう、“準入選”だったよ」

惜しくも準入選でしたが、元々赤塚賞は審査が厳しいため、この時も入選は「該当者なし」でした。
つまり、全作品の中でトップです。

嶋田さん「赤塚賞で準入選して、売れてる作家の方っているんですよね。江口寿史さんとか。だから準入選でもいいかなって」

軽いですね。いい意味で。
 

ゆでたまごは95万パワー!?

嶋田さん「それがすぐに雑誌に載りまして。ジャンプの漫画は15本ぐらいあるんですが、新人の漫画なんて(読者人気アンケートで)10位ぐらいなんですけど、いきなり5位とか6位に入って」

掲載当時(1979年2号)の人気作品は、『リングにかけろ』『コブラ』『すすめ!!パイレーツ』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、そうそうたる顔ぶれです。この中の上位に食い込んだのです。

嶋田さん「中野さんがビックリして。『じゃあもう1回読み切り描きなさい』って言われて。高3の卒業前にもう1回『キン肉マン』を描いて。また評判良くて。即、連載決定になりました」

嶋田さんと中井さんはまさに、キン肉マンなみの超人なのでした。
(岡戸孝宏)
 
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2019年06月15日23時05分~抜粋

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