声優・玄田哲章の勘違い「野沢那智は女だと思った」

神谷明 TALK!×3 / エンタメ

声優、ナレーターとして活躍中の玄田哲章さんが、3月24日放送の『神谷明TALK×3』に出演しました。

神谷明が30代に差し掛かるぐらいの時からの長いお付き合いで、神谷の方が2歳上。
「玄やん」「明ちゃん」と呼び合う仲ですが、意外に知らないことも多い様でした。
話は玄田さんが大学受験を失敗したところから。

芸能の道もありかな

「僕は大学に行くつもりではいたんですけど、浪人して、勉強しながら考えたんですよね。これでいいのかな?みたいな。勉強もあんまり進まなくてね、それで芸能の道へ行きたいと高校の先生に相談したんですよ」

小学校3年から学芸会では必ず選ばれて、いろんな役をやってきて、さらに本を口に出して読んだりという表現することが好きだったそうで、玄田さんは、芸能の道もありかなと思うようになったんだとか。

芸能の道と決めても、何も分からない玄田さん、運よく学校の先生が東宝のプロデューサーを知っていました。東宝芸能学校に紹介できるかもしれないが「まずは両親を説得すること」と言われます。

両親は3年ぐらいやらせれば諦めるだろう、という気持ちで受験を承諾。入学が決まりました。
 

厳しい東宝芸能学校

普通の大学と同じぐらいの授業料で、2年間、授業は9時から5時までみっちりあったそうです。120人を2クラスに分けて、中間テストと期末テスト、全部点数を付けて1位から10位まで発表していたそうです。

科目は演技、ダンス、日舞、英会話などがあったそうです。玄田さんは成績優秀者の中には入ったことはありませんでした。
学校は東宝芸能アカデミーと名前を変え、その一期生として卒業した玄田さんですが、その頃は映画は斜陽産業。選択はテレビか、東宝の現代劇かという道しかなかったそうです。

東宝芸能アカデミーで新劇の先生の影響を受けたという玄田さんは文学座を受けることに。当時は、文学座、民芸、俳優座が三大劇団として名実ともに有名でした。

神谷「僕なんかね、最初からそれは飛ばしましたよ。レベル高くて無理だと思ったから」

玄田「1,000人ぐらい受けて20人ぐらいしか選ばれないの。一次は受かったんだけど、二次は落ちて、また浪人ですよ」
 

勘違いで薔薇座へ

玄田「当時、テアトロという雑誌があったでしょ?」

神谷「僕も『テアトロ』と『新劇』は劇団を探して読み漁りましたよ」

玄田「それで薔薇座っていうのを見てね。一年間、レッスンするには良いかなと思ってね。『野沢那智』って書いてあるでしょ。女性かと思って(笑)」

劇団薔薇座の創設者の野沢那智さんは、俳優・声優・ラジオパーソナリティとして活躍していますが、無論男性です。

玄田「これは“やすとも”とは読めないもんね。“なち”って女性じゃないかと思って。那智わたる(編註:宝塚のスター女優)とかいたじゃないですか。

ひょんなことから入った薔薇座ですが「野沢那智という人がいなければ、この世界に紹介されなかったね」と振り返る玄田さんです。
 

劇団四季を追っていた野沢那智

神谷「当時、薔薇座は、僕も芝居を見に行ってましたけども、玄やんの後にも、結構いい若手がいて。野沢さんも張り切って海外から作品を買い付けたりしてましたよね」

玄田「それまでは古典劇をやってたんですよ」

ジャン・ラシーヌなどの古典を劇団四季がやっていると、薔薇座も同じようなことをやったそうです。

玄田「そのうち四季がミュージカルを始めたんですよ。そうすると那智、『明日からダンスや歌もどんどんやるように』って急にミュージカルの方向へ行っちゃう。四季を追ってるんですよ」

大手である東宝や四季は海外から凄いミュージカルの版権を取ってきますが、薔薇座は予算的に無理。そのため埋もれた作品を探してくるしかないわけですが、その中でも『グリース』を持ってきたのは野沢さんだったそうです。

神谷「だから僕は、あの頃の薔薇座、勢いがあって好きだったんですけどね」
 

ドリフの舞台をやっていた神谷

玄田さんがこの仕事についたきっかけは、やっぱり那智さんだそうです。

玄田「24過ぎた頃ですかね。それまでは、ずっとバイトしながら舞台やってたんです」

神谷「俺、薔薇座で大道具のバイトとかやったよ」

玄田「そうなの?」

神谷によれば、テレビ局のスタジオやザ・ドリフターズの舞台転換を手伝ったことあったそうです。

神谷「薔薇座に行くとそういう仕事を貰えるって言うんで」

玄田「何歳ぐらいまで?」

神谷「25~27歳まではやってたと思うから、玄やんがバイトをいろいろやってる頃と同時期だよね」

実は20代に出会っていたかもしれないふたりです。
 

台本の見方も分からない

玄田「で、薔薇座のデスクで、アニメをやると一言でも良い金額もらえるよーなんて話を聞いたんですよ。それで野沢那智から斯波さんを紹介されて」

斯波重治さんは玄田さんだけでなく神谷も駆け出しの頃からお世話になっている音響監督。
『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』という初期宮崎作品。さらには『ドカベン』、『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』など有名な作品を手掛けた方で、当時はタツノコ作品が多かったそうです。

玄田さんの最初の仕事は『科学忍者隊ガッチャマン』。
ガッチャマンの収録現場には神谷も行ったことがあるそうです。

玄田「僕はまだ、この仕事、そんなにやる気なかったんですよ。台本の見方もわかんないし難しくて。あの当時、大先輩たちはリハーサルの時に声出さないんですよ。新人は、どこやってんのかな?で終わっちゃうんですね」

神谷「当時の僕らって、どっち見ていいかわかんないじゃん。本ばっかり見てると画面はどんどん行っちゃうし、画面ばっかり見てると、台本の見方がわからないから、どこやってるかわかんない。そのうちに自分の台詞が来ちゃう」
 

玄田さんと神谷が恐れる大平透

玄田「で、マイクがどこまで入るのかもわかんない」

ガッチャマンの収録に使用していた読売広告社のスタジオではマイクの下、一部分が絨毯で、あとは革靴がコツコツ響くような床だったそうです。

玄田「本番中に、もうマイクから離れたから大丈夫だと思って、床の響くところを堂々と歩いちゃったの。そしたら大平透さんが『誰だ、本番中に音を出す奴は!』って怒られちゃってさ」

神谷「シリーズでずーっと大平さんレギュラーで出てたじゃないですか。怖かったね」

玄田「そう、怖かったよ」

40年以上経った今でも声を震わせる玄田さん。怒った大平さんはよほど怖かったのでしょう。 
(尾関)
 
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2019年03月24日14時00分~抜粋

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