神谷明、尾崎亜美の母親と旅行していた!

神谷明 TALK!×3 / トーク

シンガーソングライターの尾崎亜美さんが、2月17日放送のCBCラジオ『神谷明 TALK!×3』に出演しました。
友だちの言葉をセリフ口調にする独特の話し方で、料理の原点を話す尾崎さん。
なんでも尾崎さんの母親とは不思議な関係を持つというパーソナリティ・神谷明の秘話も明かされます。

野生の勘で作った料理

料理の面白さは「化学や芸術や栄養学など、いろんなものが詰まっていること」と語る尾崎さん。
両親が離婚したため、中学の頃に必然的に始めたそうです。公務員だった父親が定時に帰ってくる時間に合わせて作るのが日課になったんだとか。

尾崎「誰にも教わらずに野生の勘で作ってたの。全然火が通ってないガリガリのジャガイモとか食べさせたり、いろんなことがあったんだけど。弟が嬉しがりだったのかな?すごい褒めてくれて。『お姉ちゃん、美味しい』ってガリガリのジャガイモも食べてくれたり」

父親も褒めてくれることが多くなり、みんなが喜んで食べるのを見て、おもてなしの欠片みたいなものを感じたそうです。

さらに遡って小学生の時にもこんな出来事が…。
 

みーちゃん、つい言ってしまう

家で誕生日会をするのが流行った時があったそうです。

尾崎「割といいとこの子はもの凄い綺麗なバースデーケーキが出て、みんなでハッピーバースデー・トゥー・ユーって歌うのが当たり前になってて」

小学校の頃からみーちゃんと呼ばれていました。

「『みーちゃん、もうすぐ誕生日やなー』って言われて、『ホンマやな 。しーひんの?パーティー』って言われて。『し、しようかな…』ってボソッと言ったら、『私も行く』、『私も行く』って20人以上が来るって事になっちゃったの」
 

おもてなしのドアが開く

地方公務員だからお金がばんばん使えるわけじゃない、これは叱られると思いながら母親に相談したみーちゃん。すると「いいよ」と言って、何か作戦を立て始めたそうです。
誕生会当日。粉、卵、砂糖などが揃えてあり、母親の指導の下、みんなでエプロンをしてホットケーキやカップケーキを作ったそうです。

尾崎「『どこで食べるケーキよりも美味しいわ』って食べてくれて。『みーちゃん、ピアノ弾いて』って言われてみんなで歌って、『本当、楽しかったわ』って言って、皆が帰った後、『お母さんごめんね。ありがとう』って言ったんだけど、後片付けしながら、お母さんが『楽しかったね。人が喜ぶって楽しいね』って言ってくれたの」

この時、おもてなしというものは、こっちが楽しい気持ちでやれば相手に伝わるんだとわかったそうです。

尾崎「音楽であり、ご飯作ることであれ、喜んでもらえるものを自分が持ってるって素敵じゃん。母がそういう人だったので、私の中のドアがフッって一個開いた気がする」
 

大晦日の恒例行事

神谷「僕はいつの間にか、亜美さんのところにお邪魔して、手料理を頂いていたんです。ピーナッツバターで作ったピーナッツの白和えを頂いた時は料理って発明なんだ、と思った」

尾崎さんの家には毎年、大晦日になると20人ほどのお客さんが出たり入ったり、常時15人位はいるそうです。もちろん関西から尾崎さんの家族も。この時は尾崎さんは、ずっと料理担当みたいなことになっているんだとか。

「最初に乾杯をして、前菜からどんどん出てきて、だいたい11時近くになると年越し蕎麦を食べて、鍋が出たりとか至れり尽くせり」と様子を語る神谷。
 

みんなで、おめでとう

尾崎「去年はたまたまウチの配偶者が紅白歌合戦に出たの。ユーミンの時にベースを弾いたんですよ」

配偶者とは、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原礼さん。
この時は小原礼さんをはじめ、ユーミンのバックバンドが凄いメンバーでした。

尾崎「みんなでその時だけ音を大きくして、『やさしさに包まれたなら~』って全員で歌ったよね。でも出番が終わるや否や戻ってきたから、年越しそばはぎりぎり間に合って、みんなでおめでとうを言えたの。92歳の母も一緒に出来ました」

 

神谷の楽しい仲間

神谷「僕は亜美さんと知り合いになってから、お母さんともよく遊ぶようになって一緒に旅行行ったり」

尾崎さんの母親が元気な頃は、神谷と神谷さんの事務所のスタッフと一緒に韓国や沖縄に行ったそうです。

尾崎「今はもう行けなくなっちゃったんですけど、沖縄で踊っている動画とか送ってくれたりしましたね」

神谷「寒い冬の北海道に行ったり、函館の夜景がきれいでね」

尾崎「おかしくない?人のお母さんと」

神谷「だって楽しいんだもん」

しかし尾崎さんの母親は歳を重ね、体調を崩して救急車に乗ることもしばしば。尾崎さんも付き添うことが多くなったそうです。
 

スマイルの意味は?

ここから話はデビュー40周年アルバム『S-mile』中の「スマイル」という曲に及びました。

尾崎「意識不明になることもあったんだけど、救急車の中でフッて目が開いて、私の顔を見てニコッって笑ってくれて、その時にこの曲の種ができたの」

この時、母親の笑顔の意味を考えたという尾崎さん。

尾崎「こどもの頃って嬉しくて笑うでしょ?でも大人になると、いろんな笑みを覚えるよね。
やせ我慢の笑みもあったり。お母さんの笑みを考えた時に、大丈夫よの笑顔だって凄く思って。まだまだ私は笑顔のこと考えんといかんわ、と思ってアルバムタイトルにもしたんだけどね」
(尾関)
 
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2019年02月17日14時00分~抜粋

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