11月4日『神谷明のTALK×3』、ゲストは声優の中尾隆聖さん。
神谷明とは46~47年の長きにわたるお付き合い。
神谷も一緒に活動する時間も長く、気軽に話に参加していました。
まずは本名から「中尾隆聖」という芸名に変えた話からです。
声優・中尾隆聖が仲間内で「トモちゃん」と呼ばれる理由
誰も名前を呼んでくれない
中尾隆聖さん、仲間内では「トモちゃん」と呼ばれています。
最初は本名の竹尾智晴で活動していたんですが、途中から中尾隆聖に改名したのです。
「中尾隆聖という名前になった時に、凄く違和感があった」と神谷明。
中尾「誰も中尾さんとか隆聖さんって呼んでくれなかったですもん」
神谷「どうもどうも、ってね」
中尾「みんな、どうもどうも、って。
ちょうど結婚もして、かみさんの勧めで姓名判断で名前を変えたんですよ。何も言うこと聞いてなかったんで、たまには言うこと聞くのもいいかなと。
その名前が晩年に良いからって言われたんだけど、若い時は、晩年っていつ?みたいなね(笑)」
最初は本名の竹尾智晴で活動していたんですが、途中から中尾隆聖に改名したのです。
「中尾隆聖という名前になった時に、凄く違和感があった」と神谷明。
中尾「誰も中尾さんとか隆聖さんって呼んでくれなかったですもん」
神谷「どうもどうも、ってね」
中尾「みんな、どうもどうも、って。
ちょうど結婚もして、かみさんの勧めで姓名判断で名前を変えたんですよ。何も言うこと聞いてなかったんで、たまには言うこと聞くのもいいかなと。
その名前が晩年に良いからって言われたんだけど、若い時は、晩年っていつ?みたいなね(笑)」
子役の集中力が欲しい
中尾隆聖さんの芸歴は長く、わずか5歳にして文化放送のラジオドラマ『フクちゃん』でデビューしています。神谷はそれをよく聴いていたそうです。
「始まりは5歳か6歳の頃です。小学校に上がる前でした。ひまわりという児童劇団に所属してたんですね。若草とかこまどりとか日本児童とか、その当時は児童劇団がいっぱいあったんです」
まだ幼稚園で本が読めなかった中尾さん、一緒に行ったおじいちゃんが台詞を耳元でささやくんだそうです。それをそのまま言うだけ、という微笑ましい収録風景だったということです。
「タイミングとかはどうしてたの?」と神谷のプロの質問に、「別録りじゃなくて、みんな一緒に録ってましたからね。だから練習してる時にほとんど覚えてたんでしょうね」と中尾さん。
神谷が仕事で会う子役も、長い台詞も全て覚えてきているそうです。
神谷「台本直しがあるじゃん。フンフンって聞いてるだけなんだけど、どこでどうしてるんだか、ちゃんと本番で治ってるんだよね。彼らは凄いよね」
中尾「その当時の集中力をもう1回欲しいですよね」
神谷「今、セリフ覚え悪いもんね」
中尾「全然覚えられない。覚えても逃げてっちゃいますから(笑)」
「始まりは5歳か6歳の頃です。小学校に上がる前でした。ひまわりという児童劇団に所属してたんですね。若草とかこまどりとか日本児童とか、その当時は児童劇団がいっぱいあったんです」
まだ幼稚園で本が読めなかった中尾さん、一緒に行ったおじいちゃんが台詞を耳元でささやくんだそうです。それをそのまま言うだけ、という微笑ましい収録風景だったということです。
「タイミングとかはどうしてたの?」と神谷のプロの質問に、「別録りじゃなくて、みんな一緒に録ってましたからね。だから練習してる時にほとんど覚えてたんでしょうね」と中尾さん。
神谷が仕事で会う子役も、長い台詞も全て覚えてきているそうです。
神谷「台本直しがあるじゃん。フンフンって聞いてるだけなんだけど、どこでどうしてるんだか、ちゃんと本番で治ってるんだよね。彼らは凄いよね」
中尾「その当時の集中力をもう1回欲しいですよね」
神谷「今、セリフ覚え悪いもんね」
中尾「全然覚えられない。覚えても逃げてっちゃいますから(笑)」
青春学園ブーム到来
順調に活動を続ける中尾さん。1960年代を過ぎるとテレビでは青春学園ドラマが流行り出します。
当時は東宝、松竹、東映、大映、新東宝の5社あった映画会社の内、東宝、東映、松竹の3社が青春ドラマをテレビ映画として制作していました。
「テレビ映画というと映画みたいですけど要はテレビドラマ。スタジオで撮るものはスタジオドラマ。映画会社がやるものはテレビ映画という言い方をしてたんですけど、放送されるのはテレビで放送されてたんですよ」と説明する中尾さん。
東宝がヒットさせたのは夏木陽介主演の『青春とはなんだ』、松竹が森田健作さん主演『おれは男だ!』、東映が桜木健一さん主演の『太陽の恋人』でした。
この『太陽の恋人』に、中尾さんは主役のライバル・芳村信夫役でレギュラー出演を果たしました。
神谷「トモちゃん、憎まれ役で凄くうまかったんで印象に残ってるんです」
中尾「ガリ勉の嫌なヤツだったんですよ(笑)」
当時は東宝、松竹、東映、大映、新東宝の5社あった映画会社の内、東宝、東映、松竹の3社が青春ドラマをテレビ映画として制作していました。
「テレビ映画というと映画みたいですけど要はテレビドラマ。スタジオで撮るものはスタジオドラマ。映画会社がやるものはテレビ映画という言い方をしてたんですけど、放送されるのはテレビで放送されてたんですよ」と説明する中尾さん。
東宝がヒットさせたのは夏木陽介主演の『青春とはなんだ』、松竹が森田健作さん主演『おれは男だ!』、東映が桜木健一さん主演の『太陽の恋人』でした。
この『太陽の恋人』に、中尾さんは主役のライバル・芳村信夫役でレギュラー出演を果たしました。
神谷「トモちゃん、憎まれ役で凄くうまかったんで印象に残ってるんです」
中尾「ガリ勉の嫌なヤツだったんですよ(笑)」
なぜか仲が良かった主役3人
神谷と中尾さんは昭和48年の10月からオンエアされた『ゼロテスター』(フジテレビ系)というアニメーションで、初めてレギュラーで一緒に仕事をすることになりました。
『ゼロテスター』は三人の若者が主人公。中尾さん、神谷、もう一人の声優は麻上洋子さんでした。
この3人はなぜか仲が良かったそうです。
神谷「他の番組では、そんなにキャストが仲良くなることはなかったんですよ。でも、あの時の3人はあんなに仲良くなって、最後はお芝居をやるようにまでなっちゃった」
中尾「あの頃は、まだ広川太一郎さんもお元気で、先輩なのによく一緒に遊んでくださいましたよね」
神谷「『ゼロテスター』が終わるか終わった頃じゃないかと思うんだけど、赤坂で50人ぐらいの小劇場で芝居やりました。あれもよくやったよね」
中尾「僕ら二人と、麻上洋子さんと藩恵子さんの4人で二人芝居を2本やった」
『ゼロテスター』は三人の若者が主人公。中尾さん、神谷、もう一人の声優は麻上洋子さんでした。
この3人はなぜか仲が良かったそうです。
神谷「他の番組では、そんなにキャストが仲良くなることはなかったんですよ。でも、あの時の3人はあんなに仲良くなって、最後はお芝居をやるようにまでなっちゃった」
中尾「あの頃は、まだ広川太一郎さんもお元気で、先輩なのによく一緒に遊んでくださいましたよね」
神谷「『ゼロテスター』が終わるか終わった頃じゃないかと思うんだけど、赤坂で50人ぐらいの小劇場で芝居やりました。あれもよくやったよね」
中尾「僕ら二人と、麻上洋子さんと藩恵子さんの4人で二人芝居を2本やった」
本格的に舞台活動へ
ここからは当時の芝居談義です。当時の演出家の斬新な練習方法や演出方法、舞台は人気が出て東京だけでなく大阪まで公演をしに行った話など。
熱く、そしてしみじみと青春を振り返るように語りあう中尾さんと神谷。
中尾「三越劇場の支配人が見に来てくれて、大阪でやらないか?と声をかけてくれた。
でも神谷さんのスケジュールが忙しいからと言うと『いやいや、1日だけでもいいから来てくれ』と言われて、行ったら1日4回公演。朝9時、12時、午後の3時、6時ですよ(笑)」
神谷曰く、これらの活動が声優が舞台をやり始めた最初だそうです。
中尾さんはその後本格的に演劇活動をするようになり、1992年には関俊彦さんと劇団「ドラマティックカンパニー」を旗揚げしました。
中尾「本当にあれがきっかけですね。あれがなかったらやってないですよね。お陰様でもう26年目になりました」
その「ドラマティックカンパニー」の新作『Amore Me Too !! 』が、東京(今月21日から25日まで)と大阪(11月30日から12月2日まで)で上演されます。
(尾関)
熱く、そしてしみじみと青春を振り返るように語りあう中尾さんと神谷。
中尾「三越劇場の支配人が見に来てくれて、大阪でやらないか?と声をかけてくれた。
でも神谷さんのスケジュールが忙しいからと言うと『いやいや、1日だけでもいいから来てくれ』と言われて、行ったら1日4回公演。朝9時、12時、午後の3時、6時ですよ(笑)」
神谷曰く、これらの活動が声優が舞台をやり始めた最初だそうです。
中尾さんはその後本格的に演劇活動をするようになり、1992年には関俊彦さんと劇団「ドラマティックカンパニー」を旗揚げしました。
中尾「本当にあれがきっかけですね。あれがなかったらやってないですよね。お陰様でもう26年目になりました」
その「ドラマティックカンパニー」の新作『Amore Me Too !! 』が、東京(今月21日から25日まで)と大阪(11月30日から12月2日まで)で上演されます。
(尾関)
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