神谷明・日髙のり子 TALK!×3

謎の勢力?日高のり子が声優になる前の不思議な話

10月21日『神谷明のTALK×3』のゲストは『タッチ』の浅倉南役で知られる声優で女優の日高のり子さん。

40年のキャリアで、神谷明とはおよそ37年のお付き合いとなりますが、今回はそんな神谷も知らないこどもの頃から声優になる前の話です。

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最初の記憶

日高さんに最初の記憶を尋ねると…

日高「3歳ぐらいだと思うんですけど、当時住んでたアパートの外階段の踊り場で弟とおままごとをしてて、何かにびっくりして転げ落ちるっていうのが最初の記憶だと思います」

以来、階段からの転落を何度も繰り返していたそうです。

日高「だから私、頭がたんこぶだらけで今も触るとちょっといびつだなと思うんです。
お母さんは、私を育てる上で理解できない部分があると『この子は小さい時、頭をたくさん打ったからだ』って言いきかせてたんですよ」

空想少女

小学校に上がるか上がらないかの頃にはアニメが大好きになり、藤子不二雄作品『怪物くん』のコスプレか、画用紙で帽子や牙を作ってドラキュラの格好をして弟たちと撮った写真があるそうです。

日高「母に言わせると遊びの天才だったって。自分のオリジナルの遊びを考えて弟たちに教えてやってたみたい」

そういう才能のある人は物語を考えるのが得意そうですが、物語を作ることはなかったんだそうです。
しかし、本の登場人物に自分を当てはめては空想するのが好きだったんだとか。

日高「外国のバレエの寄宿学校の話に憧れたり、漫画『ガラスの仮面』に憧れたり。自分は東京生まれの東京育ちなんですけど、もしも違う地域に生まれていたらどんな生活をしてたんだろう?と、もうひとつの人生みたいなことを考えるのも好きでした」

小学4年で外郎売を覚える

日高「『ジャイアントロボ』『マグマ大使』『ケンちゃんチャコちゃん』など、当時はこどもが主役のテレビドラマって凄く多くて、そういう人にもなりたかったんです。母に相談して劇団員募集のオーディション受けたのが小学校4年生」

神谷「その時のオーディションてどういうことやったか覚えてる?」

日高「野原に遊びに行ったら蝶々が飛んできて、何度やっても捕まらないんだけど、自分の頭に止まった時にそーっと捕まえて、取れましたっていうところまでをやってくださいっていうような」

その課題に「良い課題だなあ」と感心する神谷。

日高「想像して演じることが私にとってはすごく新鮮でした」

そして劇団に入って最初にやったことが『外郎売』(ういろううり)を覚えること。
歌舞伎『若緑勢曾我』(わかみどりいきおいそが)に登場するセリフで、声優、俳優、アナウンサーなどが活舌の訓練のために覚える定番です。

「え?小学校4年生で?」と驚く神谷。

日高「家でずっと繰り返し繰り返し、覚えるまで何時間でもやってたのを母が見て、バレエだのピアノだの何やらせてもすごくあきっぽいのに、これは頑張ってるなって思ったって」

自分の声にショック

その一方、日高さんはこう話します。

日高「自分では変わった声だなと思ってました」

小学校の時に影絵の出し物をやることになり、両手は影の材料を持って動かしすので、台本が読めないため、予めセリフはみんなで録音しておくことに。
そこで初めて自分の声を聴いた日高さん。

日高「それを聞いた時に、私はこんな変な声なのかって思った記憶があります」
神谷「テープで録音した声を聞いた時ってあれはショックだよね」
日高「5年生になって劇団で初舞台を踏んだ時に、ある子のお母さんが『この子はよく通る良い声してるね』って言ったんですが、変わった趣味だなとしか思わなかったですね」

日高さんは自分の声に自信を持てなかったようです。

初アフレコは自分の顔

朝ドラのオーディションを受けて落ちたり、NHKの少年ドラマやCMに出演していた日高さん、高校1年生の時に初めて1年間のドラマレギュラーの仕事が舞い込みます。
それが『バトルフィーバーJ』という戦隊もの。1979年2月から1980年1月まで、テレビ朝日系列で放送されていました。

日高「まだ本名のままで出てました。その時は出られて嬉しかったけど、一生の仕事にできるとはわからなかったですね。

当時ってほぼアフレコだったんですね。だから自分の顔に自分がしゃべったセリフを付けるって言う形だったんです。私のアフレコ初体験は自分の顔に声を入れることでした」

意外にも、自分の演技に声を当てるのは慣れてないと難しいそうです。
演技の動作を覚えておかないと。自分なのに合わない、と大変なんだとか。

日高「高校生ぐらいだと記憶力も良いから、練習したことは覚えてるんですよ。身体の感覚としてもここで間をとったとかも全部覚えてるし、私なんかそんなにセリフ多くないですし。主役クラスの方は苦労されてましたよね」

モンチッチに似ていたから

『バトルフィーバーJ』の出演中に、『ふたごのモンチッチ』というアニメの主題歌を歌う話が飛び込んできました。
レコード会社から劇団に、しかも日高さん指名でのオーダーだったようです。

日高「凄く不思議だなぁと思って。自分の劇団はミュージカルもやっていたので、劇団のスタジオで舞台用の歌は録音してたんですけど、もっと歌の上手い子はたくさんいるのに、何で私なのかな?ってずっと思っていました」

理由を尋ねると、劇団のタレント名鑑を見ると当時ショートカットだった日高さんが一番モンチッチに似てたから、と言われたそうです。

それからモンチッチと一緒にイベントをやったり幼稚園巡りをしたりと、人前でおしゃべりをする仕事をすることになります。

ハードルの高い1分間

「これ、凄い不思議なんですけど…」と話し出す日高さん。
当時FM局でモンチッチの会社がスポンサーを取っている1分間の枠があったそうです。

そこを日高さんが担当することになります。通常ならモンチッチの新商品のCMをしそうですが、なぜか自分がレコーディングしたモンチッチの主題歌をバックにしての1分のフリートーク。

日高「それが高校生の時で月曜日から金曜日まであるから、一週間に1分のネタが五つ必要だったんですよ」
神谷「それハードル高いわ~」

日高「製作には代理店の方もいらしてて、今日学校で何があった?みたいな話から始まって、まずネタを決めるんです。じゃあ時計の秒針が一周まわるとこで終わってって録り始めて、ちょっと足りなかったりちょっと溢れるとやり直しです」

「編集してくれるわけじゃないんだ!」と神谷。「それで相当鍛えられたと思います」と日高さん。
「鍛えられるよ。声優の養成所で1分間自己PRとかあるけど1分長いよ」と神谷です。

誰が何のために?

神谷「その後のラジオなんかにも繋がる良い経験したよね」
日高「なぜそこで私に喋らせようとそれも謎なんですよ。私はその経緯をまるで聞いてないんですよね」
神谷「僕はそうさせた人の先見の明みたいなのを感じるね」

誰が決めて、どうしてこうなったのかは今もって謎だそうです。

日高「もしかしたらモンチッチに似てるから、と私に主題歌を決めた人なのかなとうっすらと思ってるんです。実はその人、次に私にアニメの声をやらせようとしたんですよね」

日高さんを声優にしようとする謎の勢力があるのでしょうか?非常に先の展開が気になるところで話は終わってしまいました。
(尾関)
 
神谷明・日髙のり子 TALK!×3
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2018年10月21日14時00分~抜粋

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