神谷明・日髙のり子 TALK!×3

人生常にチャンスあり。アニキ・水木一郎の歌手人生

アニキ再び。
歌手の水木一郎さんが、10月14日放送の『神谷明のトーク×3』(CBCラジオ)に2週連続で出演しました。

前回の出演では水木さんが歌手デビューするまでのエピソードを語りましたが、今回はヒーローソングやアニメソングを歌うきっかけを語ります。聞き手でパーソナリティは、親友である声優の神谷明です。

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アニメの歌を歌うきっかけ

「デビューして2~3年経った後、俺が和田香苗先生のところにいる時に、先生が曲を書いた『12歳の神話』っていうのを堀江美都子がレコーディングするんで、ミッチ(堀江さんの愛称)が来たら、その前で歌唱してくれるって言ったの」と水木さん。

堀江美都子さんは12歳の時『紅三四郎』(1969年)でアニメ歌手としてデビュー、数々のアニメ主題歌を歌い「アニメソングの女王」の異名をとり、また声優や女優としても活躍する先駆的な存在です。

この時、堀江美都子さんと一緒に来たアニメのディレクターが水木さんの歌声を覚えていて『原始少年リュウ』(昭和46年、石ノ森章太郎原作)の主題歌に抜擢されたそうです。

「その時に、『顔も出なきゃ何も表には出ないけどいいか?』って言われたんだけど、『何を言ってますか、映画の主題歌なんてさ、誰も顔出ないじゃないですか』って。テレビも映画だと思えば、やらしてもらおうと思ってね。その当時、なり手がいなかったんですよ」

歌謡曲が全盛の当時、アニメの主題歌は「ジャケットに顔も出ないの?やだよ」「マンガの歌でしょ?やだよ」という風潮で歌手の人はみんなやりたがらなかったそうです。
世間でもアニメはこどもの見るものという認識でした。

子どもたちの歌声に感激

「でも僕は、歌も聴いていいなあと思って。でもそれ一曲で終わりだと思ってたの」

『原子少年リュウ』の放送が始まった同じ年『仮面ライダー』も始まり大ヒットします。

すると後楽園遊園地で仮面ライダーショーが開催されることになり、水木さんは司会兼歌のお兄さんに抜擢されました。夏休みの間、連日1日5回のステージに出演したそうです。

「『原子少年リュウ』と、藤岡弘さんと子門真人さんが歌ってた仮面ライダーの主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』の2曲をこどもたちの前で歌ったら、過去に聞いたことないぐらいの大合唱。仮面ライダーの歌を子供が元気に歌うんですよ」

その後『超人バロム1』という特撮番組の主題歌の話が来ました。当時、映画会社とレコード会社が特撮を専門に歌う男の歌手を探そうとしていたそうです。
東映で『仮面ライダー』シリーズを手掛けていたプロデューサー・平山亨さんが水木さんを推薦し、以来平山作品のほとんどの歌を水木さんが歌うことになりました。

『原子少年リュウ』を歌っている縁でアニメからも声がかかるようになり、代表曲となった『マジンガーZ』をはじめ、毎日のようにレコーディングの仕事が舞い込んだそうです。

「こんな事が起こっていいのかと思うぐらいでした。俺の女房も歌手やってたんだけど、『マンガの歌ってこんなに凄いの?』て超びっくりしてた」

アニキはうたのおにいさんだった

アニソンや特撮の歌を歌っていた水木さんですが、1976年4月~1979年3月の間、NHK『おかあさんといっしょ』で歌のお兄さんを担当しました。この経緯は何だったのでしょう?

「これは子門真人さんの『およげ!たいやきくん』のヒットのおかげなんですよ。『おかあさんといっしょ』のプロデューサーが二代目の歌のお兄さんを誰にしようかっていう時に、ちょうど女性週刊誌に、アニソンの歌手ということで俺と子門さんの顔が出てたんですよ。それで連絡が来たんです」

課題曲『コネコネねんど』を歌いながら、粘土で何か工作するというオーディションがあったそうです。正当な歌い方で歌って、ゾウを作ったら合格。
しかし当時、銀座のクラブでギターの弾き語りもやっていた水木さん…。

「『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さんが、夜のお仕事してるのはちょっと困るので辞めてくださいって。
辞めたら衣装代や生活費がその分減ったんですけど、俺を民放出身の扱いにしたいんですって言われてね。だから凄くいい待遇で『おかあさんといっしょ』を3年やらせていただきました」

幸運な出会い

「僕には必ずチャンスがあるんです」と水木さん。

10代でグランプリ獲得。20代でデビューして30代ではアニソンと『おかあさんといっしょ』。40代では「水木一郎ヴォーカルスクール」を作って新人歌手を輩出しています。50代では前人未到の『24時間1,000曲ライブ』を成功させました。60代はテレビのバラエティ番組に出演。そしていよいよ今年70歳です。

「Zを飛ばしたり、赤いマフラーをしてたのはアニソンをお茶の間に認知してもらいたいという思いです。アニソンの市民権が欲しいために、俺がいっちょかまそうか、みたいなことでやってたら自然と知られるようになりました」

「一郎ちゃんはアニソン界の宣伝部長、僕は声優の宣伝部長で頑張ろう、みたいなね、そんなことを言い合ったこともありますよ」と親友、神谷明が振り返ります。

「だから明ちゃんがテレビに出てると凄く嬉しくて。一緒に出る時もあるしね。70代に入ってくると今度は50周年ですよ。明ちゃんのこの番組の第一回、第二回目のゲストにも呼ばれたし。常にチャンスに恵まれた人生なんですよ。この業界以外の仕事したことない。幸せですよ」

親友を前に、しみじみと語る水木さん。
 

歌う時に一番大切にしているもの

「僕はね、こうやってトークしてる時って、声が締まらないんですよ。でも歌う時はバッチリ発音するんです。詞を凄く大事にしています」

水木さんが17歳で弟子入りした和田香苗先生は表現に厳しい人だったそうです。
例えば、「きょうは雨だった」という時の「きょう」は「TODAY」と「京都の京」では言い方が違うとか、「海」と言うだけでも"夏の海"か"冬の海"かで表現の仕方が違うと教わったとのこと。

「僕はあんまり演歌は歌わないけども、暖簾をくぐる時の赤暖簾、それを表現しろとかさ。そんなの口で出来るわけないじゃないか、10代だし。
その時は想像するんです。霧笛だって、いろいろあるよ。どんな船か?港の雰囲気は?想像しかない。そうやって教わって来たんでアニソン、ぴったりだったの。

それと歌う時には水木一郎を出すんじゃなくて、アニメの主人公を出す。そうやって歌ってきたの。そしたらいつのまにかこの個性になっちゃった」

いまアニソン界のアニキがあるのは、様々な人の縁だったと認識させられる話でした。
(尾関)
 
神谷明・日髙のり子 TALK!×3
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2018年10月14日14時00分~抜粋

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