神谷明も驚き!水木一郎は落語家を目指していた?

神谷明 TALK!×3 / エンタメ

声優の神谷明がパーソナリティを務めるラジオ番組『神谷明TALK×3』が、10月7日にスタートしました。

毎週ゲストを迎えて、打ち合わせなし、筋書きなしのぶっつけ本番のガチトークをお届けするこの番組、第1回目のゲストはアニソン界のANIKIこと水木一郎さんが出演しました。

滅多に聞けない水木さんの過去、親しい間柄である神谷明が明かしていきます。

でたらめ英語で歌い始める

第1回目のゲストは水木一郎さん。神谷明とは45年以上のお付き合いで「一郎ちゃん」「明ちゃん」と呼び合うほどの仲です。
今回は神谷が知らない、水木さんがアニソン歌手になる前の話が始まりました。

「生まれた時、ずっとお袋がジャズとかそういうのが好きだったんで、一番最初に覚えたのがビング・クロスビーの『ホワイトクリスマス』。これが2歳かちょっと歌えるぐらいかなあ」

世田谷の家の庭に銀杏の木があり、木に登りながらでたらめな英語で歌っていたそうです。5歳の時に歌手になろう思います。小学生の頃にニール・セダカ、ポール・アンカ、エルビス・プレスリーなどのアメリカン・ポップスが流行って、ジャズからそちらに路線変更。

落語に開眼

「そのうちに、今度は夏休みとか友だちと一緒に落語を見に行ったんです。末廣亭とかそういうとこへ。そしたら落語が面白くて、それで自分で、水中亭源五郎っていう名前を付けて落語をやりはじめた」

中学の頃を振り返る水木さん。
古典落語『饅頭怖い』『平林』『寿限無』などを覚えて慰問グループを作り、老人ホームで披露していたそうです。
しかし落語だけでは間に合わないので懐メロも歌っていたんだとか。

「落語はたぶん下手だよ。下手だけど、饅頭怖いの饅頭の食べ方だとか扇子で箸の真似するしぐさとか表現をするには落語はすごく良かった」

落語家へ入門を試みる

「あの当時の日本って、僕もそうだったんですけど、デビューした時に自分の家の電話番号までちゃんとプロフィールに出るんですよ。当時は悪い人いなかったんだろうね」

こう話す水木さんにスタジオが笑いに包まれました。

当時の芸能雑誌にはそこまで載っていたというおおらかな時代でした。それを見て水木さんは入門を試みます。

「もうお亡くなりになりましたけど、小さん師匠(5代目柳家子さん)のところへ電話したんですよ。そしたら本人が出たの。僕は今いくつ?って聞かれて、中学生ですけどって言ったら、ウチはね、高校卒業しないと弟子とらないんですよ、って言われて。まだ3年もあるわと思って諦めた」

天狗になっていた時

「16ん時に、桜井輝夫とドリフターズで歌を歌ってみないかって言われて、ドリフのピアノの人に教わったり、オリジナル作ってもらったりしてずーっと練習してた」

桜井輝夫とドリフターズはあの音楽コントバンド、ザ・ドリフターズの前身。
当時は小野ヤスシさんがいて、加藤茶さんが入ったばかりの頃だそうです。

やがて桜井さんに薦められ、新宿ラセーヌというジャズ喫茶で行われた歌手オーディションに出てグランプリを獲得します。歌ったのは『僕のマシュマロちゃん』というアメリカのポップスでした。

「え?獲っちゃったよ、みたいな。というか、その当時の水木一郎っていうのは、当然獲るよな、俺ならっていう、ちょっと天狗っぽいところがあったの」

山本リンダさんなどがいる事務所で、ルーキーズというバンドに入ってボーカルを担当していたそうです。デビュー前から、水木さん目当てのお客さんがかなりいた上に、グランプリの獲得です。

「そりゃ天狗になるよな(笑)。その時にデビューしなくて良かったよね。デビューしてたら、『お前、生意気』で終わっちゃうから」

シェナンドーと名付けられる

音楽業界に変化が現れます。アメリカのポップスの日本語カバー曲全盛期が過ぎ、オリジナルを求められるようになってきました。

「俺もポップスを日本語で歌ってデビューできるんだと思った。今度は世の中が歌謡曲の時代になってきた」

カバーも歌っていた坂本九さんが出したオリジナルの「上を向いて歩こう」がアメリカでも大ヒットしました。その辺りから日本でもオリジナルを歌うようになってきたそうです。そして歌謡曲の時代が来ます。

「俺、歌謡曲歌ったことないしなあ。でもデビューするためには歌謡曲を歌わなきゃいけないしって。それで17歳の時に和田香苗先生っていって男性の新進作曲家がコロンビアレコードに入ったよって言うから、ダメもとで行ったらすぐ弟子にしてもらった」

和田香苗さんはアニメソングを多数手がけるようになります。『ハクション大魔王』のエンディング『アクビ娘』が有名です。弟子は水木さんの他に演歌歌手の冠二郎さんがいます。

18歳の時にテレビドラマの西部劇『シェナンドー』の英語と日本語を混ぜた歌をソノシートでレコーディングしたそうです。これは一般販売されなかったそうで業界内で宣伝用につくられたもののようです。

「弘田三枝子さん、日野皓正さんとかみんなと一緒にライブをやってたんだけど、レコーディングしただけで凄いねってことで、俺のあだ名がシェナンドーってついちゃった」

誰も並ばないサイン会

それから3年、20歳のときにカンツォーネ歌謡「君に捧げる僕の歌」でデビューします。カップリングは「口づけ」。女性ファンが悲鳴をあげるほど激しい恋の歌。

「君に捧げる僕の歌」は、少年と少女が遠くに離れていて、お互いに会いたくて少年は鳥になって山を越え少女に会いに行きます。少女は待ちきれなくて、少年が少女のもとに着いた時、花になってたっていたというメルヘンの歌でした。

「どっちをデビュー曲にしようかとなった時に、僕が選んだのは『君の捧げる僕の歌』なんですよ。そしたらまあ、売れない売れない(笑)」

当時、レコード会社の新人サイン会が札幌で行われたそうです。錦野旦さんなど錚々たるメンバーと一緒。

「みんなの所にはズラーっ来るんですけど、俺のとこは誰も並ばないの。並んでくれるお客さんが一人くるでしょ。次の人が並ぶまで、ゆっくりサインを書くんですよ。それで日付入れましょうか?って日付入れたり、名前の文字まで聞いて、ゆっくりサイン書いてると、後ろからまた並んでくる」

「それでも12曲もレコーディングをしてたんだね。当時そんな人いないんですよ。売れなかったら次はないから。それが10月24日に発売されるデビュー50周年記念アルバム『just my life』に入ってます」

落語家を目指しただけあって溢れるように言葉が出てくる水木さんに、思わず聞き入ってしまう神谷明でした。
(尾関)
 
この記事をradikoで聴く

2018年10月07日14時00分~抜粋

この記事をシェアする

あなたにオススメ

アーカイブ

同じカテゴリー

×