レポドラ日記

名古屋駅から30分の大自然!明治生まれの産業遺産・愛岐トンネル

今回の中継は、愛知県春日井市の愛岐トンネル3号からの中継でした。

名古屋~多治見間に国鉄(現・JR東海)中央本線が開通したのは1900年(明治33年)。
「愛岐トンネル」はこの開通に向けて、定光寺駅(愛知県春日井市)から多治見駅(岐阜県多治見市)の間に作られたトンネル群で、全部で14基あったそうです。

しかし現在、この愛岐トンネルは使用されていません。
いまの姿はどうなっているのでしょうか?

[この番組の画像一覧を見る]

トンネルは大自然の中

トンネルの近くに来てみました。

真横には玉野川(庄内川)が流れていて、かつて「名古屋の奥座敷」とも言われた観光地でもあります。
名古屋駅から中央本線でおよそ30分とは思えないほど、風光明媚なロケーションです。



トンネル周辺は木に囲まれて深呼吸したくなるような大自然の中。
入口外には広場もあります。



この愛岐トンネル群、普段は閉鎖されていますが、ゴールデンウィーク期間の6日まで一般公開されているんです。

詳しいお話を、愛岐トンネル群保存再生委員会代表の村上真善さんに伺いました。

愛岐トンネル群が使用されなくなった理由

愛岐トンネル群は日本最多の1,800万個のレンガが使われている構造物です。

名古屋~多治見間に国鉄(現・JR東海)中央本線が開通したのは1900年(明治33年)、蒸気機関車の時代です。
すぐ横に玉野川(庄内川)が通る場所で、難工事の末に完成した愛岐トンネル。

しかし曲道が多くスピードは出せず、その上単線だったため、戦後の高速・大量輸送時代に対応できなくなりました。

こうしたことから1966年(昭和41年)の電化を機に、別の場所にまっすぐで複線のレールとトンネルが完成し、愛岐トンネル群は使用されなくなりました。

レールも枕木も撤去され、いつしか廃線路は茂った藪の中に埋もれ、人々の記憶から忘れ去られてしまったのです…。

忘れられてしまったトンネルが発見された経緯

2005年(平成17年)にJR勝川駅の高架化改修工事が行われる際、残っていた明治の赤レンガ製プラットホームが撤去されることになりました。
そこで、その赤レンガを町おこしに再活用しようとイベントが開催されました。

その時、地元のおじいさんの一言が、村上さんに刺さったのです。

「定光寺駅付近に赤レンガのトンネルがあった気がするなぁ」

それをきっかけにトンネルの探索が始まったとのこと。

絶対に現存している根拠がなかったため、まずは村上さん1人で探し始めたんです!!
市の職員の方や警察の方に話をききに回ったりしたそうですが、皆さん口を揃えて「レンガのトンネルなんかないよ」「知らないよ」との返答…。

車で街中を走り回り、9メートルもある崖を登ったりと、探し続けること半年。
やっと!崖の上に発見したんです!

発見だけでは済まなかった…



約40年間藪の中に眠っていたトンネルを目にした時は、胸の震えるような感動があったという村上さん。

愛岐トンネルのように周りの人たちが「知らない」「存在しない」と言う中での発見は非常に珍しいケースだとか。

発見までにも多くの苦労がたくさんありましたが、実は本当の苦労が始まったのはこの発見から。



廃線になっている間の40年、トンネルの周りにも中にも、3、4mを超える紅葉などの木々が生い茂っていました。
自然と歴史が融合した独特の雰囲気が醸し出されています…。

また崖の上にあったため階段も作ったそう。
この遺産を皆さんに見て頂こうと、村上さんは今も整備を続けています。

トンネルに入ってみると…



そしてトンネルに一歩足を踏み入れると、びっくりするくらい涼しいんです!!
村上さんによれば、レンガには断熱効果があるので涼しいんだとか。

壁には蒸気機関車の煤がついていたり、ここで機関車が走っていたんだなぁと歴史を感じることもできました。

入口に立つとゴーっと風の音が聞こえてなんだか神秘的です。
目を閉じて風、自然を感じたくなります…。



一般公開は5月6日(つまり今日)まで!

愛岐トンネル3号が出発地点で、片道1.7㎞の廃線路を往復約2時間かけて歩くことができます。

愛岐トンネルを見られるのは年に2回だけです。
この新緑の季節にぜひ足をお運びください。
(石坂窓花)
 
レポドラ日記
この記事をで聴く

2018年05月01日16時47分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報