CBCラジオのレポートドライバー、石坂窓花です。
今回は名古屋市中区の眼鏡店「玉水屋」にお邪魔しました。
「玉水屋」は創業266年!日本の眼鏡業界の草分け的な存在として、業界をリードしてきました。
歴史ある「玉水屋」ですが、残念ながら来月末をもって閉店することになっているんです。
「玉水屋」の歴史と、眼鏡に対する思いを、8代目店主の津田節哉さんにお話を伺いました。
店内はとっても明るくて、棚には沢山の眼鏡が。
「玉水屋」は1751年、本町通りに1号店がオープン。
大正時代に栄町店を出店し、結局最後まで残ったのがこの中区錦の店舗。
最初の頃はタバコ入れや根付けなど、紳士向けの小物を扱っていましたが、6代目店主の頃から、本格的に眼鏡を扱うようになったそうです。
そして「玉水屋」は日本で最初のコンタクトレンズ誕生の地でもあるんですよ。
コンタクトレンズメーカー「メニコン」の創業者である田中恭一さんが、縁あって終戦直後に「玉水屋」で働いていたそうです。
その時にお店を訪れた米軍の夫人が持っていたコンタクトレンズを見せてもらうことが出来なかったことから、なんと独学で!コンタクトレンズを開発!
そのような経緯から「玉水屋」にはコンタクトレンズ誕生の地という看板があるのだそうです。
そして「玉水屋」には、眼鏡を作る際に他の眼鏡店にはないこだわりがあるんですよ。
来店されたお客様の視力を機械で測定して、その視力に合うレンズを選ぶだけではなく「お客様のことをよく知る」ということを一番大切にしているそうです。
お客様の生活習慣、趣味、購入の目的などをきちんと聞いた上で、レンズの度数を決定します。
そうしなければ本当の度数はわからないし、お客のことをきちんと理解しなければ、度数やフレームは本来決められないんだそうです。
だからこそ、「玉水屋」で働く社員さんはほとんど「認定眼鏡士」の資格を持っていて、専門的な知識を豊富に備えた人が対応してくださるんです。
こだわりを持って「お客様に一番合った眼鏡を!」という熱い思いで、長きに渡り営業をしてきた「玉水屋」ですが、冒頭でも触れた通り、来月末に閉店することが決まっています。
低価格の眼鏡チェーン店が業界を侵食してきたことと、建物の老朽化が要因だそうです。
たくさんの愛情が詰まっている「玉水屋」がなくなってしまうのは寂しいですね。
お話をお聞きして、津田さんの、眼鏡やお客様に対する愛情がもの凄く伝わってきました。
自分に合った眼鏡を購入してもらうためには、提供する側が眼鏡に関してきちんとした知識を持っている必要があります。
そういう思いで津田さんは「日本眼鏡技術協会」で会長を務め、「認定眼鏡士」の制度を作られました。
そして津田さんには実現したかった夢があるんです。
それは「眼鏡士」という国家資格を確立し、専門的な知識を持った人が眼鏡を提供する社会にするということ。
閉店を期に津田さんは引退されるそうですが、その意思をしっかりと後輩に引き継いでいきたい、と話してくださいました!
津田さん、素敵なお話と時間をありがとうございました。
(石坂窓花)
「玉水屋」
名古屋市中区錦3-24-12
玉水ビル1階
052-961-1826
今回は名古屋市中区の眼鏡店「玉水屋」にお邪魔しました。
「玉水屋」は創業266年!日本の眼鏡業界の草分け的な存在として、業界をリードしてきました。
歴史ある「玉水屋」ですが、残念ながら来月末をもって閉店することになっているんです。
「玉水屋」の歴史と、眼鏡に対する思いを、8代目店主の津田節哉さんにお話を伺いました。
店内はとっても明るくて、棚には沢山の眼鏡が。
「玉水屋」は1751年、本町通りに1号店がオープン。
大正時代に栄町店を出店し、結局最後まで残ったのがこの中区錦の店舗。
最初の頃はタバコ入れや根付けなど、紳士向けの小物を扱っていましたが、6代目店主の頃から、本格的に眼鏡を扱うようになったそうです。
そして「玉水屋」は日本で最初のコンタクトレンズ誕生の地でもあるんですよ。
コンタクトレンズメーカー「メニコン」の創業者である田中恭一さんが、縁あって終戦直後に「玉水屋」で働いていたそうです。
その時にお店を訪れた米軍の夫人が持っていたコンタクトレンズを見せてもらうことが出来なかったことから、なんと独学で!コンタクトレンズを開発!
そのような経緯から「玉水屋」にはコンタクトレンズ誕生の地という看板があるのだそうです。
そして「玉水屋」には、眼鏡を作る際に他の眼鏡店にはないこだわりがあるんですよ。
来店されたお客様の視力を機械で測定して、その視力に合うレンズを選ぶだけではなく「お客様のことをよく知る」ということを一番大切にしているそうです。
お客様の生活習慣、趣味、購入の目的などをきちんと聞いた上で、レンズの度数を決定します。
そうしなければ本当の度数はわからないし、お客のことをきちんと理解しなければ、度数やフレームは本来決められないんだそうです。
だからこそ、「玉水屋」で働く社員さんはほとんど「認定眼鏡士」の資格を持っていて、専門的な知識を豊富に備えた人が対応してくださるんです。
こだわりを持って「お客様に一番合った眼鏡を!」という熱い思いで、長きに渡り営業をしてきた「玉水屋」ですが、冒頭でも触れた通り、来月末に閉店することが決まっています。
低価格の眼鏡チェーン店が業界を侵食してきたことと、建物の老朽化が要因だそうです。
たくさんの愛情が詰まっている「玉水屋」がなくなってしまうのは寂しいですね。
お話をお聞きして、津田さんの、眼鏡やお客様に対する愛情がもの凄く伝わってきました。
自分に合った眼鏡を購入してもらうためには、提供する側が眼鏡に関してきちんとした知識を持っている必要があります。
そういう思いで津田さんは「日本眼鏡技術協会」で会長を務め、「認定眼鏡士」の制度を作られました。
そして津田さんには実現したかった夢があるんです。
それは「眼鏡士」という国家資格を確立し、専門的な知識を持った人が眼鏡を提供する社会にするということ。
閉店を期に津田さんは引退されるそうですが、その意思をしっかりと後輩に引き継いでいきたい、と話してくださいました!
津田さん、素敵なお話と時間をありがとうございました。
(石坂窓花)
「玉水屋」
名古屋市中区錦3-24-12
玉水ビル1階
052-961-1826