「なんとなく流されるんじゃなくて、流されちゃえって流されたいの」
1985年(昭和60年)9月11日、女優の夏目雅子さんが27歳という若さで亡くなりました。
夏目さんが患っていたのは、急性骨髄性白血病という血液のがんでした。
9月16日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』、祝日のこの日は「骨髄バンク特集」。
いろいろな人のいろいろな言葉を紹介する「 社長のお役立ち・歴史の知恵袋」のコーナーでは、冒頭の夏目さんの名言を取り上げました。
「お嬢さん女優」と揶揄された過去
夏目雅子さんは昭和後期に活躍した女優。
1976年(昭和51年)、19歳の時に愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』(日本テレビ系)の主役としてデビューしました。
翌年、20歳でカネボウ化粧品のキャンペーンガールとなります。
青い空と水着がよく似合い、「クッキーフェイス」というキャッチコピーで話題となりました。
その姿は健康そのもので、「女性の健康美ってこういうことやな!」と思っていたというつボイノリオ。
同年、夏目さんは『俺の空』で映画デビュー。
演技力がいまいちで「お嬢さん女優」と揶揄されたこともありましたが、次第に演技力を身につけ女優として活躍するようになります。
「私も脱いで演技します」
1982年(昭和57年)、映画『鬼龍院花子の生涯』でブルーリボン賞 主演女優賞を受賞。
夏目さんのセリフ、「なめたらいかんぜよ!」が流行語となります。
後にこの映画を観て、「衝撃を受けましたよ」と、つボイ。
「えっ、夏目雅子が鬼龍院花子とちゃうんかい!違うんや。鬼龍院花子って別におんねん」
夏目さんの役柄は、鬼龍院家の幼女・松恵。
「あの人がタンカ切ってるから、あの人が鬼龍院花子やとばっかり思ってました!」
タイトルこそ「花子の生涯」ですが、主役は松恵役の夏目さんでした。
つボイがこの映画を観た理由は、夏目さんのベッドシーン。
当初はスタント役を立てる予定でしたが、本人の強い希望で結局夏目さん本人が演じることとなりました。
「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」
この言葉から、夏目さんの女優魂を感じます。
自分の言葉で発信することにこだわる
所属事務所は夏目さんのヌードに大反対!
しかし、夏目さん自身が事務所を説得しました。
迫真の演技が話題となり、ブルーリボン賞 主演女優賞を受賞。
夏目さんは、この映画で女優としての地位を確立したのです。
授賞式では「これからもお嬢さん芸でがんばりたいと思います」と皮肉たっぷりにスピーチをしたこともまた、話題となりました。
「よっぽどカチンときてたんやね、この言葉。意地見せたわけですかね」と、当時の夏目さんの気持ちを推しはかるつボイ。
昭和に活躍した女優さんとしては、主体性が強いことでも知られていた夏目さん。
「"あの子が生きていたね"となんとなく思われるのはいや。自分のことをきちっと伝えたい」
こんな言葉も残している夏目さんは、あくまでも自分自身の言葉で発信することにこだわる方でした。
自分で考えて結論を出すことの大切さ
1996年(平成8年)。
没後11年となるこの年、夏目さんはCanon PIXELのCMに登場しました。
この時のキャッチフレーズは「美しい人がいました」。
夏目さんを知らない世代が「ああ、こんなに綺麗な人がいたんだ!」と気づいたことで改めて夏目雅子ブームが巻き起こります。
写真集の出版、彼女の人生を描いたテレビドラマの放送もありました。
「なんとなく流されるんじゃなくて、流されちゃえって流されたいの」
私たちが行動する時にも、「人がこうするから私もこうする」など、つい流されてしまうことはないでしょうか。
「自分で考えて結論を出すことの大切さを、27年の短い人生を駆け抜けた女性に教わるような気がいたします」と、しんみりとまとめたつボイでした。
(minto)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2019年09月16日10時29分~抜粋