あなたの心を開放する、ゆったりと流れる大人の時間『後藤浩二 ジャズ魂』
毎週日曜の夜10時半、ジャズピアニスト・後藤浩二のコレクションから名盤はもちろんのこと、隠れた素晴らしい演奏をご紹介。
ときには、ジャズボーカリストをゲストに迎え、スタジオミニライブや、ジャズミュージシャンにしかできない音楽の話、楽屋話などでお楽しみいただきます。
今日お送りするのは「ガーシュウィンplaysガーシュウィン ~実はピアノもお上手だった!~」
作曲家ガーシュウィン、実はピアノもお上手だった?!
ジョージ・ガーシュインについて
ガーシュウィンといえば「パリのアメリカ人」や「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲者として有名ですが、今回はプレイヤーとしての彼にもスポットを当ててみましょう。
ジョージ・ガーシュウィンは、1898年ニューヨークのブルックリンでユダヤ系ロシア移民の子として生まれました。
彼が生まれた頃のアメリカは、ラグタイム・ピアニストのスコット・ジョプリン(1868~1917)が全盛期でした。ガーシュウィンはラグタイムを聴いて育ったのでは?と想像できます。
ガーシュウィンが12歳の時、兄のアイラに音楽を学ばせようと中古のピアノを購入します。しかしそのピアノにのめり込んでいったのは、ジョージ自身でした。
当時まだレコードはなく音楽産業とは楽譜を売ることでした。
ガーシュウィンは、その楽譜を演奏するデモ・ピアニストとなり、自然に音楽を勉強し、作曲の才能を伸ばしていくのです。
12歳からの音楽の教育を受けるという、珍しいほど遅いスタートが、ジャズやラグタイムをクラシックに取り入れ融合させる、自由な発想を生んだのでは?と考えられます。
その後映画やミュージカル、クラシックなど多くのジャンルで活躍し、アメリカの代表的作曲家となったガーシュウィンは、38歳の若さで亡くなりました。
ラプソディ・イン・ブルー
ガーシュウィンの代表作とされる「ラプソディ・イン・ブルー」は1924年の曲です。
ラプソディとは「狂詩曲」とも言い、自由な形式、叙事的、民族的な旋律をもつのが特徴です。この曲は「ジャズ風のラプソディ」という意味なのでしょうか?
まったくの蛇足ですが、パーソナリティ後藤浩二の作品には愛知県半田市で初演した「ハンダ・ラプソディ」という曲があります。
当時ストラヴィンスキー(1882~1971)やモーリス・ラヴェル(1875~1937)から絶賛を受けたこの曲、実はもともとオーケストラ・アレンジではなかったんです。
2台ピアノ用に下書きした楽譜を、ファーディ・グローフェ(1892~1972)がビッグ・バンドとピアノのために編曲したものが初演です。
さらにガーシュウィン自身が弾くピアノ・パートの譜面が出来ておらず、彼は本番当日アドリブで弾きました。その圧倒的な即興演奏が喝采を浴びたと言われています。
冒頭の印象的なクラリネット・ソロは、練習の合間に楽団のクラリネット奏者がふざけて演奏したものを採用しており、そうした即興性にもジャズの要素が色濃く反映された作品と言えます。
その後、この曲は数回にわたり編曲されていき、いまおなじみのオーケストラと独奏ピアノのバージョンは1942年に完成されたそうです。
実はガーシュウィン、あのモーリス・ラヴェルに作曲の教えを請うことがあったそうですが、ラヴェルからは「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と言われたと伝えられています。
今回はジョージ・ガーシュウィンについて取り上げましたが、ガーシュウィン自身の演奏、また後藤浩二の演奏はradikoタイムフリーでぜひ堪能してください。
M1『Gershwin plays Gershwin The Piano Rolls』から「Swanee」
M2『Gershwin plays Gershwin The Piano Rolls』から「Rhapsody In Blue」
M3『しらかわホールの後藤浩二』から「Someone To Watch Over Me」
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