多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

世界中のギタリストを支える会社が日本にあった!エレキギターはじめて物語

海外で始まり、日本で大きく進化したものについて語る『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)「日本はじめて物語」のコーナー。

3月22日の放送では、CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が「エレキギター」について解説しました。

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バイオリンからシフトチェンジ

今やロックバンドに欠かせないエレキギターが生まれたのは、1930年代のアメリカ。1人のジャズギタリストがバンドでギターソロを弾く時に使ったのが始まりです。

エレキギターの「日本はじめて物語」の舞台は長野県の松本市。

多くの山に囲まれていた松本市は、江戸時代には木工の街でした。日本有数の乾燥した気候で湿度が低いことがあり、木を乾かすにはもってこいの場所だったのです。

1960年(昭和35年)、三村豊さんが松本に創業した富士弦楽器製造株式会社は、元々はバイオリンを作るために始めた会社でした。

しかし市場調査の結果、「どうやら欧米ではエレキギターなるものが人気を集め始めている」と知り、バイオリンからシフトチェンジをすることに。

創業2年後の1962年には、エレキギター作りをスタートしました。

ギター作りに大切なもの

とはいえ、エレキギター作りは手探り状態。

地元にギターの専門家がいるわけでもなく、手元にあるのは本場のアメリカから取り寄せた写真や、アメリカで描いたスケッチのみ。実物に触れることもなかったのです。

そんな中、1965年にはザ・ベンチャーズが、翌年にはザ・ビートルズが来日。エレキギター作りに拍車がかかりました。

エレキギター作りにもっとも大切なものは、木材です。

エレキギターの持ち手のネック部分は木でできています。この部分が微妙に反ったり曲がったりしていると、弦の張り方に影響してしまいます。

ボディも弦が響く時に、音が木に跳ね返ってきます。木の共鳴は、音を電子音に変える前であってもエレキギターにとって、とても大事なことです。

「木は切ったあとも生きている」

富士弦楽器製造の社員は、自ら山に入り原木を見つけ、色合いや質感、響きを探ることから始めました。

「木は切ったあとも生きている」という合言葉があります。

乾燥した松本の土地で、木の水分を20~30%に自然乾燥させ、さらに乾燥炉で1か月にわたって乾燥させながら、木をコントロールします。こうして自然環境になじんだ木は、ゆがみや曲がりのない木になるのです。

1970年代後半には、いいエレキギターができるようになりました。

松本のギターは、世界各国の気候にもピッタリマッチしました。木をコントロールしている分、安定性が抜群だったのです。

世界のミュージシャンを支える町

富士弦楽器製造(現在のフジゲン)は、エレキギターを海外30か国以上に輸出しています。

「エレキギター」と言われて思い浮かぶトップメーカーのブランドも、実はすべてフジゲンのギター。フジゲンのギターに、それぞれのブランド名を付けて販売しているというのが実情です。

世界のミュージシャンを支えているのは、実は長野県松本市である、ということです。

「エレキギターはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、心振るわす素敵なビートに包まれながら刻まれています。
(minto)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2023年03月22日07時40分~抜粋

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