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民放ラジオ番組史7・70年代のラジオ番組

1951年(昭和26年)に民間放送局が誕生して67年。
このシリーズではCBCラジオの番組を中心に、黎明期から60年代までの民放ラジオ番組について触れてきました。

今回は、70年代以降生まれたラジオ番組の潮流について紹介します。

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ラジオと音楽がより密接に

第5章「第1次深夜放送ブーム」でも触れましたが、1970年代のラジオ番組には、アナウンサーや声優に加え、新たな話し手が続々と登場しました。
特にフォークシンガー勢をはじめとするミュージシャンの起用は、レコーディングやツアーのウラ話を聞けることもあり、ラジオと音楽の関係はさらに密接なものとなりました。

1969年には一般放送事業者による初のFM局、エフエム愛知が開局しました。音質の優れたFM局の登場は、ラジオと音楽への接近にさらに拍車をかけることになります。

一方で70年代初頭には、ラジオチューナーとカセットテープレコーダーが一体化した通称「ラジカセ」が普及します。
英語講座などの学習、深夜番組の録りだめの他、ラジオでオンエアされた楽曲を録音して歌詞を覚えるなど、様々な活用がされました。

どのアーティストのどの曲が流れるか、詳細に記載されたFM雑誌が次々と創刊されていたのもこの時期です。
目当ての曲やパーソナリティが登場する時間に合わせてラジカセで録音する行為が「エアチェック」と呼ばれ、当時の若者たちの間で流行しました。

さらに70年代後半ともなると、ソニーからポータブルカセットテーププレイヤー「ウォークマン」が登場し、エアチェックしたカセットを聴きながら通勤・通学するという文化も生まれました。

70年代のラジオ人気は、まさに音楽抜きには語れないものとなったのです。

70年代のトレンド 電リク番組

AM局においては電話による音楽リクエスト番組、いわゆる「電リク番組」が人気を集めます。
各局には10台以上の電話機とオペレーターが用意され、またレコード室では検索しやすいよう陳列を工夫したり、生放送ができるブースを設置した放送局もありました。

CBCラジオでも1970年10月から『土曜天国』をスタートします。特に中島公司アナウンサーが担当した73年から兵藤ゆきがアシスタントを務めていた80年代初頭までは、テレビのベストテン番組ブームとの相乗効果で局内ナンバーワンの聴取率を誇っていました。

このような電リク番組は、他の局員の業務を妨げない夜間や土日に編成されることが多かったようです。

ワイド番組の登場

また1970年前後には日中の番組にも大きな変革が起こります。それが「番組の生ワイド化」です。

現在ラジオ番組と言えば、ワイド番組を指すことがほとんどですが、60年代中盤までの日中の編成は、事前に録音された5分から30分の番組(ハコ番組)をギッシリと並べることが多かったのです。
そのハコ番組を内包したり、放送時間を移動したり、あるいは終了させることで1時間から2時間の生放送枠を編成したのです。

ワイド化の主な狙いは、セグメント編成(第4章参照)によりターゲットを絞りやすいこと、ニュース速報などラジオならではの機動力を活用すること、そして広告費の低迷による経費削減が挙げられます。
また長時間にわたりフリートークができるパーソナリティの増加も一因でしょう。

70年には公益財団法人日本道路交通情報センター、通称JARTIC(ジャティック)が設立され、ラジオをはじめとするメディアにリアルタイムで交通情報が送られるようになりましたが、これも番組の生ワイド化と大きな関係があります。

CBCラジオ初のワイド番組は?

CBCラジオにおいてパーソナリティを据えた初のワイド番組は、1968年11月にスタートした『ばつぐんジョッキー』です。当初は2時間半、最大で3時間という当時としては大型ワイド番組でした。



スタート時のパーソナリティは藤本義一(作家)、寺内大吉(スポーツライター)、はかま満緒(放送作家)、上岡龍太郎(漫才師)、河井坊茶(タレント)といった顔ぶれ。
文化人が多いのは、午後に主婦がゆったりと聴けるサロン的な番組を目指したためで、番組の進行はアシスタントが担当していたようです。

ちなみに前述の『土曜天国』は、実はこの『ばつぐんジョッキー土曜版』を模様替えした番組でした。

ワイド番組が定着してパーソナリティが人気を集めると、やがてコーナーごとに提供依頼が殺到し、結果として売り場面積が広がるという効果が表れはじめました。

こうして他局の成功事例をもとに、各放送局はワイド番組枠を確保していくのです。
(編集部)
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