「高齢化社会」と言われ、元気な年配の方が多い現在の日本。
実は昔も歳をとってなお元気に活動されていた偉人が少なくありません。
6月4日放送『北野誠のズバリサタデー』では、『くそじじいとくそばばあの日本史』(ポプラ新書)の著者で、古典エッセイストの大塚ひかりさんに、パーソナリティの北野誠と大橋麻美子が話を伺いました。
江戸時代にも意外といた高齢者
『くそじじいとくそばばあの日本史』では、老いてこそ名を歴史に遺したといわれる徳川家康や卑弥呼など、偉業を成し遂げたたくましい老人たちを紹介していますが、例えば江戸時代では何歳ぐらいが「くそじじい」世代だったのでしょうか。
大塚さん「当時、乳幼児の極端な死亡率が高かったので、(一般的なイメージよりも)平均余命は案外長くて、70歳以上の長寿者もいたという。
はっきりした統計はありませんけど、意外と生きていた」
例えば早死のイメージがある戦国武将では、武田信玄は数え年で53歳に病死、上杉謙信は49歳、織田信長も50歳目前で暗殺されていますが、徳川家康は75歳まで生きました。
大坂夏の陣が1615年(慶長20年)にありましたが、家康が亡くなったのはその翌年。
もし家康がここまで長生きしていなかったら、徳川幕府はここまでの長期政権にはならなかったかもしれません。
平安時代にも80代が
さらに時代をさかのぼると、『源氏物語』で源典侍(げんのないしのすけ)という女性の高級官僚が57、8歳ぐらいの時でも若い男性を狙っている様子が描かれていて、しかもこの人物にはモデルがいたそうです。
長寿の人がいないイメージの平安時代ですが、実は藤原道長のこどもは軒並み80歳代まで生きていて、中には政治的な影響力を現役で持ち続けた人もいたのだとか。
ただ全般的に寿命は短い人が大半で、それだけで価値があったといえそうです。
大塚さん「(長生きが)良いことばっかりじゃない中、芸術家なんかも歩けなくなったりいろいろしながら、例えば藤原定家も病気がちでへーへー言いながら文学作品を生み出したりとかしてるんですよ。負のエネルギーを爆発させて」
ちなみに藤原定家は享年80でした。
長生きに必要なこと
北野がこの本を読んで気になったのが、歳をとった男女が描かれている春画があったということ。
老人の性を扱ったものは世界でも稀で、キリスト圏ではあまりないことだそうです。
大塚さん「しかも春画集のトリを飾っていて、縁起物みたいな感じですよね」
今でもその手のビデオがあることから、「昔も今もあまり変わらない」という感想を持つ北野。
そして、昔の人は「長生きするためには鶴に学べ」という言葉もあったそうです。
大塚さん「江戸時代の町奉行の人、根岸鎮衛さんという人が79歳まで生きたんですけど、そこに『自分は70歳ぐらいから食事の量を少なくしたら体調が良くなった』って書いてるんです。
鷹匠のトップの言葉として『鳥を調理すると、どれも胃袋の中身が餌で一杯だけど、鶴だけは腹6分目とか7分目だ』と。
ことわざにも『鶴は千年、亀は万年』とあるように、鶴が他の鳥よりも長生きなのは食べる量が少ないからじゃないかと書かれているんですよね」
また、長生きで大事な要素は食事の量以外もあるようです。
大塚さん「たとえ身体が不自由になっても、あきらめない方が良いのかなと思いました。昔の人を見ると」
55歳で日本地図の編纂に乗り出した伊能忠敬も、情熱があったからできたこと。
歳をとったら落ち着くべきという意見もありますが、興味や欲を持ち続けるのは人間にとって大事なことかもしれません。
(岡本)
北野誠のズバリ
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2022年06月04日10時29分~抜粋