作家の岩井志麻子さんが、6月にホラー小説『でえれえ、やっちもねえ』を発表します。
これは、岩井さんのデビュー作『ぼっけえ、きょうてえ』の続編にあたる作品。
コロナ禍の今、この『ぼっけえ、きょうてえ』に収録されている短編『密告函』が、「まさにこの時代を先取りしている」と再評価されています。
5月18日放送の『北野誠のズバリ』では、松原タニシが明治時代における『密告函』と、現代のSNSの共通点について語りました。
コレラの「ちくり箱」
密告函は、岡山県に実在したポストのようなもの。いわば「ちくり箱」です。
明治時代に「コレラ」という伝染病が蔓延していたとき、国から「コレラにかかった患者は申告せよ」とお達しがありました。
しかし、実際にコレラにかかったことがバレると村八分にされてしまうため、自ら名乗り出る人はなかなかいません。
そこで「あの人はコレラじゃないか」と気づいた周囲の人が、こっそり投稿するためにできたのが、密告函。
投稿を見た役所の人間が、コレラの疑いをかけられた人を病院に連れて行くという仕組みです。
今からおよそ100年前に、こういう時代がありました。
100年前から人は変わらない
小説の中では、「田んぼのさかいめでケンカしたから、あいつをコレラということにして訴えてやろう」など、他人を貶めるだけの理由で密告函を使う人がどんどん増えていく様が描かれています。
『密告函』は、そこから巻き起こる人間の恐ろしさをあぶり出す話です。
明治時代におけるコレラの「密告函」、これはまさに現代におけるコロナの「SNS」といえます。
地方のある村では、「周囲の人から新型コロナ感染を噂された一家が自殺した」という事件も実際に起こっています。
「今のSNSという密告函を表していて、現代にも通ずる。怖いのは100年前から人間は変わらないということ」と松原。
明治時代の密告函と。現代のSNS。
どちらも、人を貶めるためのツールとして使われているという共通点があったのです。
コレラ死体を焼く島
2年前、松原は岡山県笠岡市にある縦島、通称「タテ」を訪れました。
そこは「海の火葬場」と呼ばれる小さな島。その名の通り死体を焼くだけの、岩場だらけの島です。
その昔、コレラで亡くなった患者の死体を集め、ここで焼いていました。
多くの死体を焼いていたその場所は、今でも真っ黒のままです。
明治12年、コレラが岡山県全域に流行し、9,000人の患者と、5,000人の死者が出たという記録が残っています。
デマを信じパワーストーンにすがる
岡山県では、明治12年~35年頃までの約20数年間、毎年夏になるとコレラが流行していました。
衛生面に注目した岡山県は、明治38年という早い段階で水道の設備を整え、結果コレラは減少していきます。
水道局の資料によると、コレラが蔓延していた当時、人々は「まじない」や「祈祷」に頼るしかありませんでした。
現代に置き換えると、SNSで流れるデマを信じ、怪しいパワーストーンにすがる人々と同じです。
「人間は変わらないと改めて感じた」と語る松原でした。
(minto)
北野誠のズバリ
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2021年05月18日15時20分~抜粋