北野誠のズバリ

松村邦洋が語る、野村克也さんとの思い出

ヤクルト、阪神、楽天などの監督を歴任し、「ノムさん」の愛称で親しまれた野村克也さんが、11日に虚血性心不全で亡くなられました。

突然の訃報に驚いた方も多く、球界から悼む声が相次ぎましたが、球界以外では、野村さんのモノマネを得意とする松村邦洋さんも、ショックを受けた1人。

2月15日放送『北野誠のズバリサタデー』に電話出演し、生前のエピソードを語っていただきました。

[この番組の画像一覧を見る]

モノマネは本人からのお墨付き

野村さんとは番組の取材などを通じて機会を得るようになったという松村さん。

元々大の阪神ファンなので、野村さんが阪神の監督に就任すると、さらに会う機会が増えたそうです。

そして、当時選手だった山田勝彦さんの結婚式では、「何でもいいからしゃべれ。気が小さいから、松村君は。怒らないから、俺のモノマネもどんどんやって良いんだから」と言ってもらえたそうです。

ご本人からのお墨付きをもらった松村さんは、「阪神時代のメールアドレスは、"スランプ、スランプ、ドットオチコム"ですよ」「マー君、神の子、不思議な子。克則、俺の子、普通の子」など、失礼とも受け取られがちなネタも、思いっきりできたそうです。

また野村さんも明るい方で、取材は女性アナウンサーの方を先に受けるということで、当時のフジテレビアナウンサー、木佐彩子さんを指して、「木佐が先、上から読んでも下から読んでも"キサガサキ"」などと、ジョークを飛ばしていたそうです。
 

バラエティ番組でも真剣!

また、一時期社会人野球チームのシダックスで監督をされていた時、バラエティ番組の企画で、小学生と三角ベースによる野球対決にも快く応じていたそうです。

松村「その時のストライク、ボールの判定にも、野村監督は大人気なく『これ入ってただろう。今の球、入ってただろう』って、ムキになってやってくれたので、番組が盛り上がりましたよね。VTRを見たらボールだったんで『まあ、しょうがないねぇ』って」

お遊びの企画だからと適当にするのではなく、キッチリと対戦するところに、野村さんの勝負へのこだわりが伝わるエピソードです。

そして、普段の野村さんの印象は優しかったと言います。

松村「ホント、優しい人ですね。誠さんも僕がデビュー当時から、20歳そこそこのものまねタレントにでも『おもろいやないか』とか、話がしやすい(環境を作ってくれた)。
野村さんもキャッチャーの目線でインタビュアーみたい、吉田豪さん並みに聞き上手というか」

受け手という点で、野球と共通しているのかもしれません。

松村「(モノマネで)生涯一捕手ですよ。でも、キャッチャー辞めて40年ですけどね」
 

野球界での大きな功績

あらためて、野村さんについて「名選手であり、名監督であり、名解説者であり、バラエティでも記憶を残した方ですね」と語る松村さん。

ヤクルトで監督に就任した際には、他球団から移籍してきた選手を蘇らせた手腕から「野村再生工場」と呼ばれました。

松村「広島をクビになった小早川(毅彦)さんを、野村さんがまず第一声に『今年のヤクルトの4番は小早川です』って言って、"今年のヤクルトは、まず優勝はねぇなぁ"と思ったら、開幕戦の3連発(ホームラン)から、石井一久さんが肩が治るわで、結局ヤクルト優勝しましたからね。

廣田(浩章)さんとか、野中(徹博)さんとか、(他球団で)クビになった選手が継投して勝つんですよね。野中さんは皿洗いやサラリーマンをやってて、もう1回テストを受けて合格したような人ですからね」

最後に、北野の「野村監督のモノマネはまだ続けていくつもりですか?」という問いに対して、松村さんは「その人が亡くなっても、その人の噂を消さないようにしたいということがありますね。モノマネにこだわらず、野村さんのことを語ることで、2回目の死がないように、生きているように思いますので」と答えました。
(岡本)
 
北野誠のズバリ
この記事をで聴く

2020年02月15日10時31分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報