CBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』では放送30周年イヤーを記念して、パーソナリティのつボイノリオと、1970年代から後輩としてラジオに出演していた伊藤秀志のふたりが「つボいとうBAND」を結成。
5月5日には観客を前にライブも開催します。
これに先立つ3日の番組では、つボイノリオと小高直子アナウンサー、そして伊藤秀志がバンドについて語り合います。
つボイノリオと伊藤秀志が最初に「テネシー・ワルツ」をカバーした理由
ハガキの仕分けから
つボいとうBANDのメンバーは、"メインサブギター"を担当するつボイノリオと"サブリードギター"担当の伊藤秀志の二人。
去年の10月から毎月1回、ユーチューブで名曲のカバーを披露。現在までに7曲をアップしています。
「まさか音楽で、こうやって向かい合う時が来るとは思っても見ませんでした」と言う伊藤。
つボイノリオと伊藤秀志はラジオパーソナリティとして先輩後輩の関係ですが、伊藤はつボイのことを「先生」と呼びます。音楽ではなく、あくまでトークの先生です。
1970年代はメールも、ファックスもなく、投稿はもっぱらハガキ。
つボイが東京や大阪での仕事で不在中、伊藤がハガキ整理を手伝っていたそうです。
1000枚のハガキが入った紙袋を二袋下宿に持ち帰り、番組で読めそうなものを仕分けていたとのこと。
伊藤「こいつセンスいいなとか、このハガキはつボイさんに渡さないで盗んどこうかなとか思うようなのもあったり(笑)。
僕にとっては勉強になった。だってそれだけのおたよりが来る番組なんて他にないんだもん」
当時からつボイの人気ぶりが偲ばれるエピソードです。
去年の10月から毎月1回、ユーチューブで名曲のカバーを披露。現在までに7曲をアップしています。
「まさか音楽で、こうやって向かい合う時が来るとは思っても見ませんでした」と言う伊藤。
つボイノリオと伊藤秀志はラジオパーソナリティとして先輩後輩の関係ですが、伊藤はつボイのことを「先生」と呼びます。音楽ではなく、あくまでトークの先生です。
1970年代はメールも、ファックスもなく、投稿はもっぱらハガキ。
つボイが東京や大阪での仕事で不在中、伊藤がハガキ整理を手伝っていたそうです。
1000枚のハガキが入った紙袋を二袋下宿に持ち帰り、番組で読めそうなものを仕分けていたとのこと。
伊藤「こいつセンスいいなとか、このハガキはつボイさんに渡さないで盗んどこうかなとか思うようなのもあったり(笑)。
僕にとっては勉強になった。だってそれだけのおたよりが来る番組なんて他にないんだもん」
当時からつボイの人気ぶりが偲ばれるエピソードです。
バンドメンバーの役割
現在は専業ラジオパーソナリティのつボイですが、もともとはバンド活動が出発点。
ステージのMCの面白さからスカウトされ、業界入りしました。
つボイはミュージシャンが片手間にラジオDJを担当する先駆者のひとりでした。
それがいつの間にか音楽稼業の方が片手間になり、ついにミュージシャンとしての活動がなくなった頃、「一緒にやらないか?」と伊藤に声をかけたそうです。
そこから始まって今に至る二人の付き合い。
番組の30周年イヤーを記念して立ち上げた「つボいとうBAND」は、音楽の相棒としてつボイが伊藤に声を掛けたことからスタートしました。
ネタ曲ではなく、本格的に音楽に向き合うことになった二人。
カバーする楽曲はつボイが選曲し、伊藤がアレンジを担当しているそうです。
ステージのMCの面白さからスカウトされ、業界入りしました。
つボイはミュージシャンが片手間にラジオDJを担当する先駆者のひとりでした。
それがいつの間にか音楽稼業の方が片手間になり、ついにミュージシャンとしての活動がなくなった頃、「一緒にやらないか?」と伊藤に声をかけたそうです。
そこから始まって今に至る二人の付き合い。
番組の30周年イヤーを記念して立ち上げた「つボいとうBAND」は、音楽の相棒としてつボイが伊藤に声を掛けたことからスタートしました。
ネタ曲ではなく、本格的に音楽に向き合うことになった二人。
カバーする楽曲はつボイが選曲し、伊藤がアレンジを担当しているそうです。
ハーモニカとギター
何十年かのブランクがあれど、つボイはミュージシャン。初回選んだ楽曲は、自身でギターを弾いて聴かせたそうです。
それを聴いた伊藤はそのチョイスに「これか!」と唸ったとか。
伊藤「そこでハーモニカをバシッと吹いてもらって、ギターの足りないところを補ってもらおうと思いました」
つボイ「広く言ったら、ギターとハーモニカってアメリカンミュージックの基本みたいなところがあるじゃないですか」
つボいとうBANDが最初のカバー曲として選んだのは、アメリカで生まれた「テネシー・ワルツ」でした。
それを聴いた伊藤はそのチョイスに「これか!」と唸ったとか。
伊藤「そこでハーモニカをバシッと吹いてもらって、ギターの足りないところを補ってもらおうと思いました」
つボイ「広く言ったら、ギターとハーモニカってアメリカンミュージックの基本みたいなところがあるじゃないですか」
つボいとうBANDが最初のカバー曲として選んだのは、アメリカで生まれた「テネシー・ワルツ」でした。
自分と同じ時間を過ごした歌
「テネシー・ワルツ」は1946年に作られ、1950年にパティ・ペイジがヒットさせた曲。
パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」を聴きながら、この曲を最初のカバーに選んだ理由を語るつボイ。
つボイ「私が生まれたのが1949年。(リリースは)翌年のことです。日本でも江利チエミさんやらが歌ってヒットしたんで、私の人生の長さと同じ時間をこの曲も生き続けて来たんだなあという思いがあるんです」
「テネシー・ワルツ」への思いを語るつボイに、伊藤がこう解説を加えます。
伊藤「アメリカから入ってきましたけど、もしこの詞のまま我が国に入ってきたら、流行らなかったかもしれない」
パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」を聴きながら、この曲を最初のカバーに選んだ理由を語るつボイ。
つボイ「私が生まれたのが1949年。(リリースは)翌年のことです。日本でも江利チエミさんやらが歌ってヒットしたんで、私の人生の長さと同じ時間をこの曲も生き続けて来たんだなあという思いがあるんです」
「テネシー・ワルツ」への思いを語るつボイに、伊藤がこう解説を加えます。
伊藤「アメリカから入ってきましたけど、もしこの詞のまま我が国に入ってきたら、流行らなかったかもしれない」
日米の情緒の違い
「テネシー・ワルツ」の本来の歌詞は、「彼とダンスを踊っていたら友達がやって来たので紹介したら、いつの間にか彼を盗られちゃった」というものだそうです。
小高「そんな中身なんですか?」
つボイ「生々しい曲なんや!」
江利チエミさんがヒットさせた日本語版は、「あの人はどうしているのか?懐かしい愛の歌『テネシーワルツ』を今宵も歌う」というもの。
つボイ「これがアメリカ人と日本人の情緒の違い。アメリカは友達に盗られたと具体的に言うんです」
小高「確かに中学、高校ぐらいの時に、いい曲だなと思って辞書で一生懸命調べたら、びっくりするような歌詞だったことがある」
この後も、つボいとうBANDがカバーした曲について語るつボイノリオと伊藤秀志でした。
どんな楽曲がカバーされたのかは、CBCラジオの公式YouTUbeチャンネルをチェックしてみましょう。
(尾関)
小高「そんな中身なんですか?」
つボイ「生々しい曲なんや!」
江利チエミさんがヒットさせた日本語版は、「あの人はどうしているのか?懐かしい愛の歌『テネシーワルツ』を今宵も歌う」というもの。
つボイ「これがアメリカ人と日本人の情緒の違い。アメリカは友達に盗られたと具体的に言うんです」
小高「確かに中学、高校ぐらいの時に、いい曲だなと思って辞書で一生懸命調べたら、びっくりするような歌詞だったことがある」
この後も、つボいとうBANDがカバーした曲について語るつボイノリオと伊藤秀志でした。
どんな楽曲がカバーされたのかは、CBCラジオの公式YouTUbeチャンネルをチェックしてみましょう。
(尾関)
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