多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

知ってますか?「だるま」のモデルはどこの誰?

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の「石塚元章の金曜コラム」では、その時期に合ったキーワードをピックアップし、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、さまざまな切り口で分析しています。

1月19日の放送で取り上げたキーワードは「だるま」。

この時期は各地でだるま市が開かれていて、特に群馬県高崎市で開催されているだるま市が有名です。
今回は、身近な割には意外と知らない「だるま」に関する情報を石塚委員が報告しました。

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だるまのモデルは偉いお坊さん

まず「だるま」のモデルは、日本人ではありません。

中国の禅宗の開祖とされている仏教僧・達磨(だるま)大師です。
一説にはインドの南の方にある国に生まれ、修行を積んでお坊さんになり、中国に渡って禅宗を開祖したと言われています。

達磨大師の教えのひとつに「不立文字(ふりゅうもんじ)」というものがあります。
悟りは言葉で教えるものではなく、自分と向き合って行うものだという意味です。

有名な伝説としては、壁に向かって9年間座禅を組み続けた「壁観」というものがあります。
このことが由来で手や足が衰えた姿で「だるま」として表現されたといわれています。
また、粘り強く努力することを表す「面壁九年」という言葉も生まれています。

ただ、この伝説は達磨大師の「壁観」が誤って伝わってできたものという説があります。
実際の壁観は「壁のようにどっしりとした境地で真理を見極めること」という意味です。

その他、日本にやって来て聖徳太子に会ったことがあるといった伝説も伝わっています。

昔のだるまのイメージ

中国の禅宗が日本に伝わったのは鎌倉時代です。日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などが禅宗として生まれました。

この際に達磨大師が描かれた「達磨図」というものも伝わっていますが、その多くがひげを生やした眼光鋭い男性が描かれていました。

やがて、「達磨図」で描かれた男性は、日本においてコミカルなイメージで知られる「だるま」へと変化していきます。

例えば、「だるまさんがころんだ」は、鬼役の人が壁に向かって「だるまさんがころんだ」と言いますが、これは壁に向かって修行をしていたことに由来する説があります。
「動いたらアウト」というルールも、9年間動じずに座禅を組んでいるという伝説から、動くことは良くない、鬼役に見られても動じないようにという意味が込められていると言われています。

現在の「だるま」ができた時期

一方、私たちになじみ深い「だるま」の置物については、その元祖が室町時代に中国からやってきます。

これは「不倒翁」というもので、おきあがりこぼしの一種。
転んでも起き上がるというところから、不老不死の意味で名付けられていました。
「不倒翁」と達磨大師のイメージが合体して、今に伝わる「だるま」となったのは江戸時代のようです。

「だるま」が赤いのは、達磨大師が赤い衣を着ていて頭からすっぽりかぶっていたためで、赤色には魔除けの意味合いもあったそうです。

にらめっこの前の掛け声「だるまさん」や雪だるま、だるま落としなど、こどもにもなじみ深い「だるま」、そのモデルは日本人ではなく、禅宗の開祖だったわけです。
(岡本)
 
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2024年01月19日07時18分~抜粋

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