CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』で1月からスタートしたコーナーが、「あゝ懐かしのスター列伝」。
1月17日の放送で紹介したスターは、俳優の緒形拳さん。
多くの映画やドラマに出演し、さまざまな役柄を演じた名優です。
生涯俳優を貫き通し、「仕事の鬼」とも称された緒形さんですが、どのような人生を歩んだのでしょうか。
「仕事の鬼」と呼ばれた名優・緒形拳さん
すぐに主人公に抜擢
緒形さんは1937年(昭和12年)東京生まれ、高校を卒業した後の1958年(昭和33年)に新国劇に入団。
当時、新国劇は一世を風靡していた劇団で、看板俳優の辰巳柳太郎さんの付き人となり、
入団後すぐに頭角を表し、2年後には主人公にも抜擢されるほどの存在感を放ちました。
その後テレビにも進出し、1965年(昭和40年)にはNHK大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢。
日吉丸から木下藤吉郎、そして豊臣秀吉となって天下を統一するまでの物語です。
デビューからわずか7年で、国民的なドラマだった大河の主役になるとは、現在から見ても早い印象を受けます。
当時、新国劇は一世を風靡していた劇団で、看板俳優の辰巳柳太郎さんの付き人となり、
入団後すぐに頭角を表し、2年後には主人公にも抜擢されるほどの存在感を放ちました。
その後テレビにも進出し、1965年(昭和40年)にはNHK大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢。
日吉丸から木下藤吉郎、そして豊臣秀吉となって天下を統一するまでの物語です。
デビューからわずか7年で、国民的なドラマだった大河の主役になるとは、現在から見ても早い印象を受けます。
映画やドラマに多数出演
1968年(昭和43年)に新国劇を退団し、活躍の場を映画やテレビドラマへと移しました。
当時のテレビドラマで特に人気を博したのが、『必殺仕掛人(朝日放送テレビ)』の藤枝梅安役。
また、70年代の映画では『鬼畜』(野村芳太郎監督)や『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、80年代に入ると『楢山節考』(今村昌平監督)『魚影の群れ』(相米慎二監督)などに出演。
大御所監督作品に出演したことで存在感が増し、国際的な賞を獲得するようになっていきました。
また、90年代には『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ系)や『ナニワ金融道』(フジ系)など、多くの現代劇で父親役やマンガ原作の作品などにも出演。
ドラマや映画以外にも、競馬やビールなどのCMにも出演し、幅広い世代で人気を博しました。
当時のテレビドラマで特に人気を博したのが、『必殺仕掛人(朝日放送テレビ)』の藤枝梅安役。
また、70年代の映画では『鬼畜』(野村芳太郎監督)や『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、80年代に入ると『楢山節考』(今村昌平監督)『魚影の群れ』(相米慎二監督)などに出演。
大御所監督作品に出演したことで存在感が増し、国際的な賞を獲得するようになっていきました。
また、90年代には『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ系)や『ナニワ金融道』(フジ系)など、多くの現代劇で父親役やマンガ原作の作品などにも出演。
ドラマや映画以外にも、競馬やビールなどのCMにも出演し、幅広い世代で人気を博しました。
役に入り込むあまり
緒形さんが「仕事の鬼」と呼ばれたのは、「日常の全てが演技に通じている」という考えを持たれていたためです。
例えば『魚影の群れ』では漁師の役を演じていましたが、撮影の1か月前から青森県の大間に住み込んで、現地の漁師さんと一緒に実際に漁を行い、さまざまなことを教えてもらい、役に備えていました。
そして実際に撮影が始まると、衣装は衣装部が準備した服ではなく、生活を共にした漁師さんが着ていた赤いセーターを借りていたという逸話があるそうです。
さらに家族のお話によれば、「あまり家におらず、たまに家にいても常に台本を読み込んでいた。お正月でも変わらなかった」とのこと。
2008年10月5日、緒形さんは癌により71歳で亡くなられました。
直前までテレビドラマ『風のガーデン』(フジテレビ系)の撮影を行い、9月30日には制作発表にも登場しており、まさに生涯俳優だったといえる人生でした。
(岡本)
例えば『魚影の群れ』では漁師の役を演じていましたが、撮影の1か月前から青森県の大間に住み込んで、現地の漁師さんと一緒に実際に漁を行い、さまざまなことを教えてもらい、役に備えていました。
そして実際に撮影が始まると、衣装は衣装部が準備した服ではなく、生活を共にした漁師さんが着ていた赤いセーターを借りていたという逸話があるそうです。
さらに家族のお話によれば、「あまり家におらず、たまに家にいても常に台本を読み込んでいた。お正月でも変わらなかった」とのこと。
2008年10月5日、緒形さんは癌により71歳で亡くなられました。
直前までテレビドラマ『風のガーデン』(フジテレビ系)の撮影を行い、9月30日には制作発表にも登場しており、まさに生涯俳優だったといえる人生でした。
(岡本)
関連記事