『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)の水曜日に放送されているコーナー「ルーツ・オブ・カンパニー」。
有名企業がもともと今とは異なる事業を営んでいたという意外なエピソードや、起業のきっかけとなったエピソードを紹介しています。
12月27日の放送で取り上げたのは、岩手県の盛岡から西の方にあり、日本最大の民間総合農場である小岩井農場。
乳業だけではなくさまざまな事業を展開していて、観光資源としての役割も果たしています。
その小岩井農場ですが、実は鉄道の敷設がきっかけでできたという農場です。
日本最大の民間農場、小岩井農場の名前の由来は?
牧場を作ろうと思ったきっかけ
時は1888年(明治21年)6月12日、まだ鉄道が敷かれていなかった盛岡に、井上勝という鉄道庁長官がやって来ました。
目的は東京から鉄道を延ばそうという計画のための視察で、この時はまだ盛岡駅はできていません。
井上が西の方を見ると、岩手山が見えるものの、荒れ果てた土地が広がっているだけという光景でした。
井上はこれまでもさまざまな鉄道敷設を指揮していましたが、その代償として日本の美しい田畑を潰してきてしまったという反省からか、「ここに例えば農場などを作らないといけないのではないか」と感じました。
それから2年後に東北本線は盛岡まで延伸され、その翌年に設立したのが小岩井農場なのです。
目的は東京から鉄道を延ばそうという計画のための視察で、この時はまだ盛岡駅はできていません。
井上が西の方を見ると、岩手山が見えるものの、荒れ果てた土地が広がっているだけという光景でした。
井上はこれまでもさまざまな鉄道敷設を指揮していましたが、その代償として日本の美しい田畑を潰してきてしまったという反省からか、「ここに例えば農場などを作らないといけないのではないか」と感じました。
それから2年後に東北本線は盛岡まで延伸され、その翌年に設立したのが小岩井農場なのです。
今や日本最大の農場に
設立にあたり、井上は自分だけではなく、鉄道会社の副社長だった小野義眞と、当時三菱社長だった岩崎弥之助を引き入れ、3人共同で立ち上げました。
当時、この地で農場を開くのはかなり大変で、冬場は吹雪で厳しい環境で経営は多難でしたが、土地の改良を重ね、牛を買って牛乳を生み出し、そこからチーズやバターなどの乳製品を生産し、どんどん生み出すものを増やしていき、日本の乳業の発展に大きく貢献しました。
その後も三菱が経営に参画したり、一時期は競走馬を輩出したり、小岩井乳業が独立してキリングループに入ることもありましたが、現在は酪農のみならず、卵や山林事業、観光事業など多角的に経営されています。
当時、この地で農場を開くのはかなり大変で、冬場は吹雪で厳しい環境で経営は多難でしたが、土地の改良を重ね、牛を買って牛乳を生み出し、そこからチーズやバターなどの乳製品を生産し、どんどん生み出すものを増やしていき、日本の乳業の発展に大きく貢献しました。
その後も三菱が経営に参画したり、一時期は競走馬を輩出したり、小岩井乳業が独立してキリングループに入ることもありましたが、現在は酪農のみならず、卵や山林事業、観光事業など多角的に経営されています。
名前の由来は?
さて、この「小岩井農場」という名前ですが、農場がある場所には小岩井という地名もなく、創始者の名前に小岩井という姓の人もいません。
実は小岩井農場の創始者である小野義さん、岩崎さん、井上さんの3名の頭文字なのです。
また、小岩井農場は創業から既に百数十年も経つ歴史のある農場ですが、明治から昭和にかけてさまざまな建築物が建てられました。
例えば牛舎やサイロ、倉庫などが挙げられますが、これらの多くがまとまって残されており、現在は重要文化財に指定されています。
(岡本)
実は小岩井農場の創始者である小野義さん、岩崎さん、井上さんの3名の頭文字なのです。
また、小岩井農場は創業から既に百数十年も経つ歴史のある農場ですが、明治から昭和にかけてさまざまな建築物が建てられました。
例えば牛舎やサイロ、倉庫などが挙げられますが、これらの多くがまとまって残されており、現在は重要文化財に指定されています。
(岡本)
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