多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

生誕120年・小津安二郎監督 人間の本質と心の格差を描き続ける

日本には偉人と呼ばれる優れた人物がたくさんいます。『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)、「日本偉人伝」のコーナーでは、そんな歴史上の人物の生涯を、CBC論説室の後藤克幸特別解説委員が毎週ひとり紹介しています。

12月25日の放送で取り上げたのは、小津安二郎。日本映画を代表する監督のひとりです。

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24歳で監督に昇進

小津安二郎は、1903年(明治36年)に東京・深川の商家の次男として生まれ、小学生の時に父の故郷である三重県松阪市に転居しています。

中学時代には、映画に夢中になり、地元の映画館に通い詰めたといわれています。

20歳の年に東京に出て「映画の仕事がしたい」と松竹蒲田撮影所に入社し、カメラ助手として映画人の人生をスタート。

熱意と情熱と才能が実り、4年後の24歳で監督に昇進しました。

きっかけは『東京物語』

1937年、34歳で徴兵され中国へ上陸、各地を転戦。1946年の終戦とともに帰国し、43歳で再び映画界で仕事を始めます。

46歳、48歳、50歳の時に、小津の代表作となる『晩春』『麦秋』『東京物語』といったヒット作品を次々と生み出しました。

中でも『東京物語』は発表から5年後の1958年、55歳の時にイギリス・ロンドンの国際映画祭で高く評価され、独創的な作品に贈られる賞を受賞。これがきっかけで、小津作品の評価は国内外で高まっていきました。

59歳の時、映画界から初めて「日本芸術院会員」に選出されましたが、翌1963年、60歳で亡くなりました。

特徴的なローアングル

小津安二郎が偉人たる所以は、「日本のありふれた家族の心の機微を淡々と描く作風」と、その中に「誰もが共感する人間の本質を表現」という独自のスタイルを貫き通した部分にあります。

小津が生涯を通して貫き通したのは、「小津調」と呼ばれる独特の演出手法でした。
例えばそれは、家族の会話をその場で静かに聞いているかのような「固定されたカメラワーク」や、日本家屋の中で座って話している人の目線の「ローアングル」です。

『東京物語』の有名なシーンでは、こたつに座って話している登場人物の様子を低い位置から固定カメラで撮影しています。天井からぶら下がっている電気が映りこむほどのローアングルでした。

笠智衆さん、原節子さんといった小津映画の常連の俳優たちが「日本的心の表現者」として監督と共同作業を続けたという部分も大きな側面です。

人間の本質をつくテーマ

小津安二郎がよく比較されるのは、黒澤明監督。

侍が登場し、人や馬が画面の中で激しくダイナミックに動き回る黒澤映画に対して、物静かで日本的な小津映画は、外国人にはわかりづらいのでは、ということで海外で紹介されるのが遅れたと言われているそうです。

しかし小津が描いた「親子の気持ちのすれ違い」「都会と地方の心のすれ違いや心の格差」などのテーマは、本来人間の本質を突くものです。
「小津を尊敬している」という映画関係者は海外にも多くいるといいます。

いつまでも心に響く映画

『東京物語』の発表は戦後復興が進む1953年。1964年の東京オリンピックに向けて東京と地方の「貧富の格差」そして「心の格差」が顕著になっていった時でもありました。
『東京物語』にも、この「すれ違い」が描かれています。

この『東京物語』は、2012年にイギリスの英国映画協会が発表した「世界の映画監督358人が投票で選ぶ最も優れた映画部門」で第1位に選ばれました。

約70年前の映画でダイナミックさはなく、テンポも異なります。しかし、そこに描かれている心の機微と親子の感情は、今も変わらず観る者の心に響いています。
(minto)
 
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2023年12月25日07時39分~抜粋

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