多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

きのこで知られるホクト、創業当時に作っていたのは意外な物

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)で水曜日に放送されているコーナーが「ルーツ・オブ・カンパニー」。

毎週、日本の有名企業の知られざるルーツ、「この会社、実は創業当時に今とは違う事業を行なっていた」というようなエピソードを紹介しています。

11月15日の放送で取り上げた企業はホクト。

「おいしいきのこはホクト」のフレーズどおり、きのこの栽培・販売で有名ですが、実は創業当時はまったく違うものを作っていました。

どのようなものを製造し、なぜ現在きのこ栽培を手がけるようになったのでしょうか?

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最初に手がけた商品は?

ホクトの創業者・水野正幸氏は長野県生まれ。そのためか今もホクトの本社は長野市にあります。

水野氏は学校を卒業後、包装資材メーカーの役員を務める叔父から「包装資材を売ってみないか?」と声を掛けられ、商事会社を作って売ることになりました。

これがホクトの前身となるデラップス商事株式会社という会社で、1964年(昭和39年)に設立。
包装資材は多種多様ですが、当時新しかった樹脂を扱う資材などを扱っていました。

しかしこの年の6月16日、新潟地震が発生。

新潟ではきのこ栽培が盛んに行われていましたが、栽培にはガラスの瓶が使われていたため、地震で大打撃を受けました。

そこで水野氏は「割れない栽培用の容器が作れないか」と考え、樹脂を使った包装資材を作っていることから、1967年(昭和42年)にポリプロピレン製のきのこ栽培用容器を製造し販売。

ここで、今の事業であるきのこ栽培と接点が出てきました。

割れないだけではなく軽いこともあって「作業がしやすい」と大きな評判を呼び、またたく間に売り上げを伸ばしました。

画期的なきのこを開発

やがて水野氏はきのこの容器製造だけではなく、きのこそのものの栽培を手がけるようになります。
しかも単なる栽培だけではなく、新しい品種を研究開発し、1986年(昭和61年)にはえのきの新品種、ホクトM-50を開発します。

M-50が画期的だったのは、白いエノキダケだったということ。

今でこそえのきは白くて当たり前ですが、もともとは茶色でした。
スーパーの店頭で並べた時に見栄えを良くしたいという思いから、白色の物を開発したそうです。

その後も苦味の少ないブナシメジや、安定的に大量生産ができるエリンギなど、次々と新しいきのこを開発していきました。

また、2002年(平成14年)からは、きのこのキャラクターが動き、きのこの歌が流れるCMをきっかけに知名度がアップ。
現在では「きのこで菌活」というフレーズでおなじみの企業となりました。

災害で農家が困っていたという事実を元に、自分の企業で作っているものを活用して新しいものを生み出すというアイデアもさることながら、そこから新たにきのこ栽培の事業に乗り出そうという行動力。

企業が成長するには、やはりアイデア力と行動力が必要というわけですね。
(岡本)
 
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2023年11月15日08時13分~抜粋

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