多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

南三陸町の道の駅「さんさん南三陸」にモアイ像がある理由

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』のコーナー「ここ寄っちゃお」では、CBCの西村俊仁アナウンサーが、自身が足を運んだ高速道路のSAや道の駅を紹介しています。

11月14日の放送では、宮城県本吉郡南三陸町にある道の駅「さんさん南三陸」を取り上げました。

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あちこちに、モアイが

この道の駅「さんさん南三陸」は、東日本大震災からの復興によって生まれた「南三陸さんさん商店街」に併設というかたちで昨年10月にオープンしました。

ウッド調の平屋が並ぶ商店街では、名産の海産物を買ったり、その場で食べたりできます。

その空間のあちこちに気になるものがあります。本来はこんなところにあるはずのないものです。
それはイースター島のモアイです。

像だけではなく、道の駅の案内表示板にモアイのイラストがあったり、各お店の入口にもミニモアイがいて、道の駅の向かい側の公園には3メートルを超えるような超巨大モアイがいます。

多田「本物のモアイもいる、デザイン化したモアイもいる。モアイ、モアイの町」

はじまりはチリ地震津波

これには何か意図があるのだろうと、西村は調べてみました。

南三陸町のホームページに「チリ共和国との友好の証 震災復興のシンボル モアイ像」という項目があります。それによれば、南三陸町とモアイは深い絆で結ばれていることがわかります。

南三陸とモアイの関係は、1960年(昭和35年)に起ったチリ地震津波に遡ります。
志津川町(現・志津川地区)で41人が亡くなるなど大きな被害が出ました。その被災の記憶を日本とチリで共有し後世に伝えようと、30年後の1990年にチリからコンドルの碑が贈られてきました。

その翌年、ふるさと創生事業の一環で、チリ人の彫刻家に依頼したモアイ像が南三陸に置かれることになりました。

これ以降、南三陸はモアイで町おこしをしようがテーマになって、街の中を見ると、橋の欄干、マンホールの図柄、学校の彫刻として、町のあちこちでモアイが見られるようになりました。

そして、東日本大震災

そして2011年に東日本大震災が発生し、南三陸町も津波による大きな被害を受けました。
チリとの友好の証であるモアイ像も、この時津波で流されてしまい、その後かろうじて頭の部分だけが見つかりました。

この様子を見聞きしたチリのイースター島の人たちが、「人々が再びそこで生きていきたいと思えるように本当の力を持ったモアイを贈ろう」と尽力しました。

震災から2年後の2013年、「本物のモアイ」が南三陸にやってきたのです。

「本物のモアイ」とは?

実は「モアイ」と呼ぶためにはいろいろなルールがあります。まずイースター島の石で作ったものであること。
その意味で、南三陸のモアイはイースター島以外では世界でただひとつの“本物”のモアイです。

そして、南三陸にやってきたモアイには目が入っています。
実は目が入ったモアイ像は世界に2体しかないそうです。モアイは目が入ることで霊力を宿すことができるとされています。

南三陸の哀しみを取り払って復興を見守る存在になって欲しいということで、白目の部分を白サンゴ、黒目の部分を黒曜石で作られています。

共通の思い

1960年から、チリイースター島も南三陸も海から多くの恵みを受けている反面、海の恐怖にもさらされてきました。
そんな共通の思いがモアイによってより深くなっています。

昨年オープンした道の駅にも、モアイがたくさん置かれています。

多田「イースター島の、南三陸の、そこに住んでいる人の気持ちを共有しないといけないというモアイのある道の駅ですね」

ちなみに「モアイ」は、イースター島のラパヌイ語で「未来に生きる」という意味を持っているそうです。
(みず)
 
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2023年11月14日07時37分~抜粋

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