多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

京都の桂離宮、景観の魅力と過大評価説

10月27日、京都市西京区にある桂離宮では一夜限りの観月会が開かれました。

桂という場所は京都の西側、嵐山の近くにあります。
平安時代より「月の名所」として知られていることから、今年は十五夜に並ぶ名月とされる十三夜(旧暦9月13日)に当たるこの日に開催されました。

当日放送されたCBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が桂離宮にまつわるエピソードを紹介しました。

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桂離宮ができた背景

京都には桂川という川が南北に流れていて、桂離宮はその西岸にあります。

逆に桂離宮から見ると、東側には桂川があってその先が拓けているため、月を見るのにちょうど良く、上空と水面に映るふたつの月を楽しめる絶景ポイントといえます。

そのため周辺は、平安時代に貴族や公家が別荘を盛んに建てていた場所でしたが、江戸時代初期に八条宮家初代の智仁親王が別荘を建てました。これが後の桂離宮となります。

智仁親王は正親町天皇の孫にあたりますが、幼少期はなんと豊臣秀吉の養子となったことがあります。

当時こどもがいない秀吉は宮家から養子を迎え入れたものの、淀君にこどもが生まれたため、智仁親王との養子関係を解消します。

さすがに天皇家をないがしろにはできないと思ったからか、秀吉は新しい宮家を作るように頼み、八条宮家を創設して智仁親王が初代となったのです。
もし秀吉に実のこどもが産まれなければ、桂離宮はなかったかもしれません。

桂離宮という名前はいつから?

桂離宮は敷地が広く、古書院や中書院、新御殿、楽器の間などがありますが、今までに大きく3期に分かれて造営が行われました。
後からできた建物は少しずつ斜めに並べて建てられました。これは「雁行」と呼ばれ、景観の魅力のひとつとなっています。

庭園には桂川の水を引き込んだ池があり、周りを歩いて周れる回遊式となっていて、中には茶屋などが建てられています。

1615年(元和元年)頃に建設が始まったとされ、現在の形になるまでに50年ほどかけて建てられたといわれています。

「桂離宮」と呼ばれるようになったのは1883年(明治16年)で、実はかなり後年のこと。

後継ぎに恵まれなかった八条宮家は、時折天皇家から養子に迎えることで、常磐井宮、京極宮、桂宮と名前を変えて継続していました。そして明治になり、桂宮家の時に途絶えてしまいました。
これを機に宮内省(現在の宮内庁)の管轄となり、「桂離宮」が正式名称となりました。

桂離宮ブームは作られたもの?

1933年(昭和8年)、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来日し、桂離宮を見学しました。
彼が「シンプルな作りで、これこそ日本建築だ」と絶賛したのをきっかけに、日本国内で桂離宮ブームが起こったとされています。

しかし後年になり、国際日本文化研究センターの井上章一さんが著書『つくられた桂離宮神話』(講談社刊)などで、ある意図によってブームが作られたと推察しています。

ブームの背景として、当時シンプルな建築を推奨していた建築家グループにタウトが後押しされたこと、太平洋戦争前で日本の国威発揚に利用されたと指摘しています。
シンプルな建築を褒めたのは、当時の「贅沢は敵」というスローガンに一致することなどから、必要以上に桂離宮を持ち上げたのではないかと、その高評価に疑問を呈しています。

ブームについてはさておき、桂離宮の景観の素晴らしさは、ぜひご自身の目で確かめてみてください。なお桂離宮の参観には事前の申し込みが必要です。
(岡本)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2023年10月27日07時21分~抜粋

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