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スポーツ用品メーカー ヨネックス、創業当時に作っていた意外な物

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』の「ルーツ・オブ・カンパニー~この会社、もともとは?」コーナーでは、日本の有名企業の知られざるルーツや「この会社、実は創業当時に今とは違う事業を行なっていた」というエピソードを紹介しています。

10月25日の放送で取り上げた企業はヨネックス。

テニスのラケットはもちろん、さまざまなスポーツ用品を扱っているメーカーですが、創業当初はどのような商品を扱っていたのでしょうか?

今回は西村俊仁アナウンサーがヨネックスの歴史を紹介しました。

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最初に作った物は?

ヨネックスの前身は、1946年(昭和21年)に新潟で創業した米山木工所です。

創業者は新潟生まれの米山稔氏。米山木工所では、地元のサケマス漁で網に付けて使っていた木製のうきを主として、木工品の製造販売を行なっていました。

ただ、当時使用されていた魚網が木綿製からナイロン製に変わっていき、それに伴ってうきも木製からプラスチック製に変わったため、業績に大打撃を受けます。

「次に何を作ったら良いんだろう」と悩み、新潟という土地柄、雪国で小型、付加価値が高いもので木工品で何を作るべきか考えていたところ、浮かび上がったのが戦後になって入ってきたスポーツのバドミントンでした。

1957年(昭和32年)、バドミントンのラケットを作ることに的を絞り、販売の下請けとして製造を始めます。
そして翌年には、企業名を米山製作所に変えます。

ラケットのメーカーに

ラケットの製造は瞬く間に評判を呼び、親会社の高評価のみならず、輸出も手がけるようになります。

しかし1961年(昭和36年)頃、親会社が倒産してしまいます。
連鎖倒産の恐れのあった米山製作所は、自ら「ヨネヤマブランド」を立ち上げ、バドミントンラケットを製造・販売するようになります。

このアイデアが当たり、日本一の生産量を誇るようになります。

国内生産だけではなく輸出も行ない、1967年(昭和42年)には企業名をヨネヤマラケットに変更します。

この時点ではまだ「ヨネックス」という文字は出てきません。

社名変更の理由

1969年(昭和44年)、「ヨネヤマラケットという企業名であれば、バドミントン以外のラケットを作ってもいいんじゃないか」ということで、アルミ製テニスラケットの製造を開始しました。
1964年(昭和38年)の東京オリンピック以降、スポーツ人口が増加したことも、追い風になったようです。

そして1974年(昭和49年)、社名がヨネックスに変わります。
その理由は、海外から「ヨネヤマの発音が難しい」という意見が来たため。

ヨネヤマの「ヨネ」に、未来の可能性を感じさせる「X(エックス)」を組み合わせたのが「ヨネックス」というわけです。

さらにヨネックスは、1982年(昭和57年)にゴルフ市場へも進出。
その後もスノーボードなどのウィンタースポーツ、サッカー系のウェアやスポーツサイクル、ウォーキングシューズやランニングシューズなど、さまざまな種類のスポーツ用品を販売しています。
(岡本)
 
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2023年10月25日08時14分~抜粋

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