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当初「仁丹」はなかった?創業130年の森下仁丹

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』の「ルーツ・オブ・カンパニー」コーナーでは、毎週、日本の名だたる企業の知られざるルーツ、「この会社、実は創業当時に今とは違う事業を行なっていた」といったエピソードを紹介しています。

10月4日の放送で取り上げた企業は、森下仁丹。

銀色の小さな粒の仁丹でおなじみですが、今や医薬品にとどまらず、健康食品や医療機器などヘルスケア全般の事業を手がけています。

現在は企業名に「仁丹」とついているものの、最初は異なる企業名で違う物を販売していました。いったい、どのような物を販売していたのでしょうか?

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起業7年後にようやくヒット

創業は1893年(明治26年)でちょうど130年前。会社の名前は森下南陽堂といい、森下博氏が大阪で起業しました。
当時は富山や新潟などの売薬業者に原料を販売していましたが、これが森下仁丹のルーツです。

1896年(明治29年)、日清戦争の功労者に送られる金鵄勲章にちなんで「金鵄麝香(きんしじゃこう)」という香袋を販売。

続いて1898年(明治31年)には内服美容剤の「肉体美白丸」を販売しましたが、時代を先取りし過ぎたのかあまり売れず、経営は順風満帆とはいきませんでした。

しかし、1900年(明治33年)に梅毒の新剤である「毒滅」を販売。
ドイツの宰相ビスマルクが商標に描かれ、森下氏は家財のすべてを広告費に投げ打ったところ、これが大ヒット。

当時、梅毒は「花柳病」「文明病」と呼ばれ多くの人々に恐れられていましたが、画期的な新薬として注目され、森下南陽堂の名が世に知れ渡ることとなりました。
この時点ではまだ、仁丹の「じ」の字も出てきません。

構想から10年でようやく完成

当時の日本では医学が発達しておらず、風邪や食あたりといった、今では軽いと思われる病気でも亡くなることが少なくありませんでした。
そこで、森下氏はさまざまな病気に効果があって飲みやすく、携行しやすくて保存しやすい薬が作れないかと考え続けていたのです。

資金的に余裕が出てきたところで、開発に着手したのが新しい総合保健薬「仁丹」です。

実は以前から「仁丹」のアイデアはあり、1895年(明治28年)に森下氏が台湾に出征した際、現地で常用されていた丸薬からヒントを得ました。

研究に研究を重ねたのち、1905年(明治38年)「赤大粒仁丹」という薬が完成しました。
これが現在の仁丹の前身です。

仁丹という名前の由来

さらに1927年(昭和2年)には、粒を小さくした「赤小粒仁丹」という薬を発売。
2年後には、今でもおなじみの銀粒仁丹が発売されましたので、それから90年以上親しまれています。

最初の誕生から100年以上経った今も厳選された生薬から作られる仁丹は、創業者森下氏の願いどおり、変わることなく愛されています。

なお「仁丹」という名前の由来ですが、「仁」は中国大陸への輸出を念頭に置いて、東洋道徳の根本である「仁義礼智信」の中心で最高とされる徳で、中国では文学の王を意味します。そして「丹」は、台湾で丸薬を指す文字だそうです。
(岡本)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2023年10月04日08時15分~抜粋

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